トップ100と言いながらも1955年のビルボードは30位までしか公表されていない。実はこの年の終わり頃になって初めてトップ100チャートが登場したため、55年は集計ができなかったのだろう。
この55年トップ30のチャートを眺めてみると面白いことに気が付く。それは、同じタイトルの曲がなんと3曲もチャートインしているということである。そのタイトルとは、“The Ballad of Davy Crockett”、邦題を「デイビー・クロケットの唄」と言う。
わが国では56年に小坂一也とワゴン・マスターズがカバーし、62年には弘田三枝子が「NHKみんなのうた」で歌っていた。昭和30(1955)年生まれの筆者は小学校入学前に男性歌手が歌っているのを聴いたことがあるが、歌詞の内容はまるで記憶に残っていない。なんだか愉快なメロディーだなと思ったくらいだ。
翻って55年にビルボードにチャートインしたのは、年間6位にビル・ヘイズ、22位にフェス・パーカー、24位にテネシー・アーニー・フォードという面々。そのほかウェリントンズ、マック・ワイズマン、パール・アイブスなど多くのアーティストが取り上げたので、いかにこの曲に人気があったのかが分かろうというもの。
しかし、なぜこの曲が全米で爆発的に流行したのだろうか。そのキーワードはディズニーである。当時、ウォルト・ディズニー・アンソロジーというテレビシリーズがあり、その中で54年12月15日にフェス・パーカーが歌ったのが始まりだった。それを聴いたビル・ヘイズが翌16日にすぐにレコーディングを行い、さらに翌年2月にはテネシー・アーニー・フォードがシングルを発表した。
曲のタイトルになっているデイビー・クロケットは実在の人物で、テキサス独立戦争中、有名なアラモの戦いで命を落とした英雄である。その英雄を題材に親しみやすいカントリー調の曲が、人気のディズニー番組で流れてヒットのきっかけになったのだろう。
チャートインした3曲はどれも伴奏がギター1本で、ビル・ヘイズは男性コーラスをバックに高らかかつ朗らかに歌い、より太い声のフェス・パーカーは、ヘイズよりも若干ゆったりしたテンポでフィドルを効果的に使い、低音が魅力のテネシー・アーニー・フォードは、さらにゆっくりしたテンポで語るように歌って、スティールギターで雰囲気を盛り上げているのが特徴である。
(オールディーズK)
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