福田栄紀さんからの手紙を手にする生前の母・俊美さん
福田栄紀さんからの手紙を手にする生前の母・俊美さん
「一筆啓上賞」で大賞を受賞した福田栄紀さん=盛岡市内
「一筆啓上賞」で大賞を受賞した福田栄紀さん=盛岡市内
福田栄紀さんからの手紙を手にする生前の母・俊美さん
「一筆啓上賞」で大賞を受賞した福田栄紀さん=盛岡市内

 「おかさん」へ

 手紙読むのが楽しみと笑顔見せ言うてくれたけ、切手十枚また買うた。

 途中で逝くなや。

 

 大田市出身の男性が、亡き母との手紙のやりとりをしたためた一編が、日本一短い手紙のコンクール「第28回一筆啓上賞」(2020年)で、大賞に輝いた。病に伏せる母に宛てて「切手十枚また買(こ)うた。途中で逝くなや」とつづり、手紙が届くのを喜んでいた母との思い出をかみしめながら受賞を喜んでいる。

 大賞を射止めたのは、盛岡市の団体職員、福田栄紀さん(64)。大田高卒業後に進学、就職で故郷を離れ、全国や海外を転勤で渡り歩いた。

 2003年、大田市に残る母俊美さんが脳溢血(いっけつ)で倒れた。一命を取り留めたものの、80歳を過ぎ、弱っていく姿を目の当たりにした。元気づけようと、盛岡市へと転勤が決まった08年に手紙を書き始めた。

 一度に切手を10枚ずつ買い、書き出しの一文は決まって「今年○番目の手紙です」。年を追うごとに書く頻度は増え、週1通のペースに。家族の近況や東北の四季の移り変わり、自分の思い…。遠く離れている母に語り掛けるような気分で筆を執った。

 何げない内容でも、文章が好きだった母は喜んでくれた。古里を離れ、きょうだいに親の世話を任せていた自分も少し、親孝行できた気になれた。

 返信は徐々に減った。達筆だった母の字は乱れ、妹が代筆するようになった。16年、90歳で他界。9年間続いたやりとりが終わった。

 いつの間にか「母のためというより、自分のために手紙を書いていた」と気付いた。作文も日記も読書感想文も苦手だった自分が母に宛てることで「書くのが好きになった」と振り返る。

 大賞の報が知れ渡ると「ホロリときた」「心に染みた」と反響があった。受賞がきっかけで、同じ盛岡市に大田高の先輩がいることが分かり、驚いた。

 うれしさと照れくささを感じると同時に、やはり浮かんだのは母のことだ。

 「書くことが好きだった『おかさん』がもうちょっと長く生きててくれて、受賞を伝える新聞の切り抜きが入った手紙を見たら、さぞかし喜んでくれただろうな」

 コンクールは公益財団法人丸岡文化財団(福井県坂井市)が主催。大賞には福田さんを含め5作品が選ばれた。

      (錦織拓郎)