「日本がひっくり返るような出来事がある。のるかそるかの大仕事だ」。電話を取った崔洋一の耳に、映画監督、若松孝二のドスの利いた声が飛び込んできた。

 1975年の梅雨の頃だ。崔は25歳。写真学校を中退、撮影現場で働く無名の若者だった。若松と出会ったのは、映画人のたまり場になっていた東京・新宿の酒場で起きた乱闘で〝大活躍〟したのがきっかけだ。

 若松プロダクションを主宰し、反体制的な色彩が強いピンク映画を撮っていた若松は、13歳年下の崔の...