冷たく張り詰めた空気の中で静かに手を合わせる毎日だった|。12年前の3月、島根県警広報県民課次長の吾郷利孝さん(55)=当時少年課所属=は警官でつくる「遺族対策班」の1人として、東日本大震災の被災地での任務に当たった。遺族が遺体と対面する時間に立ち合いながら、自らの役割を問い続けた。(古瀬弘治)
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吾郷さんは震災発生後、宮城県女川町の遺体安置所への派遣が決まった。約20メートルの大津波で800人以上の死者、行方不明者を出した町だった。
島根県から陸路で2日かけてようやく東北の海岸線にたどり着いた。「何もなかった。これが津波かと。言葉が出なかった」
女川町の高台にあった避難所近くの安置所で任務が始まった。ときおり小雪が舞うほど...