2月下旬から、母がものを食べられなくなった。水分と栄養を補給する点滴だけで3週間以上。お世話になっているグループホームでみとりたいと決め、その容体を気に掛けつつ暮らしていたものだから、黒田杏子先生の訃報が突然届いた夜、一瞬脳が...