インド・ムンバイで鳥取県の日本酒や文化をPRする県関係者(左から2番目)ら=2023年1月(ANAムンバイ支店提供)
インド・ムンバイで鳥取県の日本酒や文化をPRする県関係者(左から2番目)ら=2023年1月(ANAムンバイ支店提供)

 「うちのような零細企業が乗り出せるような国ではないと、数年前まで思っていた」。諏訪酒造(鳥取県智頭町智頭)の東田雅彦社長(63)が語る。同社を含む鳥取県内七つの地酒メーカーでつくる「チーム鳥取・インド輸出蔵元会」は2022年11月、県産の日本酒2700本をインドに初輸出した。

 インドへの地酒輸出は全国でも先駆的だ。国税庁によると、日本酒の22年輸出額は最大相手国の中国が140億円に対し、インドは5千万円に満たず、インドの日本酒市場はまさに未開拓市場といえる。

 日本酒造組合中央会で長く海外へのPR業務を担当し、現在はチーム鳥取のコーディネーターとして輸出事業にかかわる江岡美香さん(57)によると、ウイスキー大国のインドではまろやかな風味が好まれる傾向があり、酸味が少ない日本酒は好まれる。鳥取の酒も高く評価されている。

 国際通貨基金によると、インドの22年度の国内総生産成長率は6・8%で、先進国の2倍。経済発展で、購買力が高いとされる中間所得層の割合が年々増加すると見込まれ、市場として高い潜在性がある。

 新型コロナウイルスの感染が落ち着き、今年に入り全国の蔵元がインド熱を急速にあげているという。インドへ熱視線が送られる中で、江岡さんは「5年以内にものにできなければ他地域に食われる」と危機感を抱き、輸出拡大を急ぐ。今夏には、第2弾として商都ムンバイ向けに約2千本の輸出を取り付けた。

 山陰の市場縮小で、諏訪酒造の売り上げは1996年以降減少が続く。閉塞(へいそく)感があったという東田社長は「成功するかは未知数だが、未来がある。零細企業でも集まって挑みたい」と力を込める。

 山陰からは従来、建設会社や食品メーカーが現地ビジネスを試行してきたが、「多様性の国」で知られるインドへの進出は一筋縄ではいかない。日本の約9倍の国土は気候風土や文化がさまざまな上、州ごとに法律が異なり、日本との商慣習も違う。市場ニーズを把握し、商品やサービスを的確に提供するのが容易ではないのは確かだ。

 一方、インドに9年半駐在した日本貿易振興機構(ジェトロ)島根の田代順也所長は「アジアや欧米と比べ、情報や先人の少なさも進出を難しくしていた。逆に言えば、いろいろな分野で先駆者になれる可能性がある」と語る。

 鳥取県はウクライナ侵攻を機に、ビジネスの重点地域だったロシア向けの施策を凍結。順調な日本酒輸出の推移などを踏まえ、縁の深い観光を同時にPRし、食との両輪でインドパワーを取り込む戦略を練り始めた。平井伸治鳥取県知事は「10年、20年のスパンで考えると、インドとの関係は中国や東南アジア諸国連合(ASEAN)と肩を並べるものになり得る」と見通す。

 県がANAムンバイ支店と連携して1月に開いた現地ツアープランナー向けの観光説明会には、複数社から約10人が参加。実際に視察したいと反響があり、現在1社と調整を進める。11月には南部バンガロールであるイベントに出展し、県の観光地や特産品をPRする計画だ。

 平井知事はインド独立の指導者マハトマ・ガンジーの言葉を引用し、「未来は、私たちが今何をするかにかかっている」と口元を引き締めた。人口最少地域からの挑戦が本格的に始まる。

  (政経部・今井菜月)