山陰両県の企業が、国連の推計で今年、人口が世界最多となったインドとの結びつきを強めている。IT人材の交流による技術導入や14億人の巨大市場への進出で社業の拡大を図る。行政や関連団体の後押しも活発化する。世界で高まるインドの存在感を経済成長につなげようとする取り組みを追った。
「インナッテ ミーティング トゥーダンガン(今日のミーティングを始めましょう)!」。5月24日夕、システム開発の東亜ソフトウェア(株)(米子市新開7丁目、秦野博行社長)の一室で、インド南部ケララ州の公用語マラヤーラム語が響いた。
同州出身のシステムエンジニア、ニートゥ・スニルさん(23)とメガ・ローズ・ジャヤンさん(23)、岩西俊哉執行役員の3人。毎夕の日本語勉強会の一こまだ。インドからの2人は同州の大学でコンピューターサイエンスを修め、2021年12月から勤務。人工知能(AI)を活用したキノコの栽培管理システム開発に取り組む。
インドはIT分野の高度な人材育成で知られる国。同社は専門的知見を持つ人材を獲得できたことで初めて、AIという新規領域の事業を立ち上げることができた。菌の植え付けや散水といった各工程の最適なタイミングを集積データから導き、安定出荷につなげるシステムで、今のところ全国に例がない。大手種菌メーカーも既に高い関心を持ち同社を来訪したという。
2人の人脈で、インド人IT企業経営者が技術面を監修する。AIについて豊富な知識と経験を持つといい、心強い後ろ盾となっている。
さらに、事業の先進性から地元の米子高専(同市彦名町)との共同研究が実現。同社にとって初めてのことで、岩西執行役員は「会社としての価値が高まった。地元学生の採用にプラスになる」とインド人材獲得の大きな効果を感じている。
受け入れは、中海・宍道湖・大山圏域5市の市長会がケララ州政府と15年に交わした経済交流拡大を目指す覚書に基づく。これまで地元IT企業などで9人が就労し、現在5人が働いている。
人材交流をきっかけに、圏域企業の発展という期待されていた効果が現れ始めた。自治体レベルで取り組む究極の目標は産業活性化を通じた圏域人口60万人の維持。IT人材に軸足を置いてきたが、今後は理系人材に拡充する方針だ。
平均年齢28歳のインド
インドでの事業拡大を目指し、今、大事な局面を迎えているのが、下水道や電気不要の環境配慮型トイレ(汚水処理施設)を開発・販売する大成工業(株)(米子市米原6丁目)だ。
土壌や植物の蒸発散によってし尿や生活排水を処理する。環境性能は国の折り紙付きで、国内では公園など550カ所以上に導入され、トップシェアを誇る。国際協力機構(JICA)に採択され、16年以降現地で案件化調査と普及・実証事業に専心してきた。
新型コロナウイルス禍で往来などが制限され、期間が2年延長。今月中旬のインド北部・ムザファルナガルの学校への処理施設引き渡しをもってJICAと結んだ事業期間は満了する。
引き渡して終わりになるか、自治体トップや環境団体、投資家らの関心を集め、導入・事業展開の芽が生まれるか─。ビジネスとして現地で実際に売っていけるかどうかはここで決まる。「チャンスをもらった。ここからは大成の仕事」。三原博之社長は力を込める。
汚染水や蚊による感染症を減らす、安全で清潔なトイレの社会的ニーズは大きい。平均年齢28歳前後のインドで、人口増に比例して今後いっそう必要性は高まると見込まれる。大手企業の進出で優先的にインフラ開発が進む都市部と比べ、地方ではとりわけ整備が遅れており、松本安弘取締役TSS事業部長は「SDGs(持続可能な開発目標)の流れの中で都市と地方の格差を埋められる企業が求められている。まさにこれからが正念場。15人の小企業だが、広大なインドの農村部に広げていきたい」と話す。
人口減が進む国内や地域の市場に閉塞感を感じ、インド市場に目を向ける事業者は少なくない。
鳥取県内7酒造会社でつくるチーム鳥取・インド輸出蔵元会は22年11月、県産の日本酒2700本の輸出に成功した。
インドでは、文化的背景などから人口の3~4割が菜食主義者だと言われている。日本酒では珍しいビーガン(完全菜食主義者)向けの認証を11銘柄で取得した。まだ日本酒がほとんど知られていない新規市場の開拓は容易ではなく、チームのメンバーは入れ替わりもある。それでも諏訪酒造(株)(鳥取県智頭町智頭)の東田雅彦社長は「社に利益をもたらせるかはまだ分からないが、楽しい。会社の存亡をかけた事業で、何とか成功させたい」と語る。縮小し続ける地元市場では抱けなかった期待が膨らむ。
コーディネーターとして、蔵元と現地輸入業者をつなぐのは、21年に東京都から移住してきた江岡美香さん。大手商社を通さず、現地ニーズを把握して輸出戦略に生かすため、Mika Sake Global(株)(同)を立ち上げ、輸出酒類卸売業免許を取得。酒蔵と力を合わせる。
海外での日本酒PR経験が深い江岡さんは、ただ出荷するだけでなく、現地の輸入業者と連携し、シェフやウエーターに日本酒のペアリング(料理との組み合わせ方)を教える。「人口が多いインドの事業者は、他者と差別化できる強みを探している」として、鳥取の酒を注文すれば、客への勧め方や技術を教えてくれるというインセンティブを現地シェフに感じさせることで、輸入業者への注文が定着すると踏む。
「山陰も目を向ける時期」
行政もインドとの関係強化を進める。
松江市は、圏域連携の施策に加え、近年力を入れるワーケーションと絡めた独自施策に本年度以降本腰を入れたい考えだ。松江に親しんでもらい、企業立地や地場IT企業との交流から新たな着想やビジネスが生まれる展開を狙う。具体化はこれからだが、幅広な接点作りを重視する。
「松江だけが得するビジネスは成り立たない。今のインドが何を求めているのかが大事で、ニーズを捉えられるよう関係性を密にしていきたい」。上定昭仁松江市長は力を込める。
鳥取県は今月、インドにネットワークを持つ日本企業とビジネス特派員契約を結んだ。現地の市況をリアルタイムでつかめるようになる。本年度からインドビジネス支援を本格化させる考えだ。
6月補正予算で、海外展開を支援する補助金の枠組みを拡充する。従来型の個社への補助に加え、複数社や大きな企業とタッグを組む連携型のビジネスを新たに支える。中小零細企業が多い地方ならではの視点で、巨大市場に力を結集して挑むことを促す。
平井伸治知事は「これからの世界経済を考えると、鳥取、山陰も本格的にインドに目を向ける時期になってきた」とし、物産や観光を筆頭に注力する考えだ。
また、両県160社・個人でつくる山陰インド協会の松尾倫男会長(山陰中央新報社社長)は「経済・文化交流を通じて新しい発想を取り込むことは、山陰地域の後進性の打破につながり得る」と期待。今年10月には4年ぶりの視察団派遣を予定する。設立から10年で見えた、商習慣と法律というハードルの乗り越え方を探る考えだ。
ジェトロ島根に相談窓口
ジェトロ島根(松江市殿町)には、中四国・九州で唯一のインド相談窓口があり、計9年半現地で勤務した経験を持つ田代順也所長が対応する。
田代所長は、多様性にあふれたインドをひとくくりに捉えず、エリアに狙いを定めてよく調べ、特化するのがいいと説く。
「焦らないこと。インドは逃げない」としつつも、欧米がどんどん進出する中で「コロナ禍も明けた。何もしないわけにはいかない」と見据える。
国連の推計でインドの人口は4月末までに約14億2600万人となり、中国を抜いて世界最多になった。国内総生産(GDP)は先進国の約2倍の成長率で伸び、27年には日独を上回って、世界3位となる見通しだ。成長著しい市場と人材を取り込めたならば、大きな恩恵を得られる。山陰には、他地域に先駆けて県境を越えた官民連携の素地があり、集の力は一つの強みとなる。今こそ、インドを目指す山陰企業の挑戦に期待したい。