ファルコの「グレイテスト・ヒッツ」
ファルコの「グレイテスト・ヒッツ」

 ドイツ語のヒット曲として、ネーナの「ロックバルーンは99」(1983年)とともに思い出すのが、オーストリアのファルコが1986年に歌った「ロック・ミー・アマデウス」。英語交じりだから純粋なドイツ語曲とはいえないかもしれないが、2位に終わったネーナが果たせなかったヒットチャートナンバーワンの座を見事射止めた。

 「ロック・ミー・アマデウス」はラップである。80年代半ばのリリース当時、ラップ自体にあまりなじみがない上に、ドイツ語だったから、かなり斬新だった。繰り出される言葉の、英語とは異なる硬い響きが、癖になった。「アマデウス!アマデウス!」と繰り返すさびは一度聴いたら耳から離れない。ウルフガング・アマデウス・モーツァルトを描いてヒットしたミロス・フォアマン監督の映画「アマデウス」(1984年)の記憶も多くの人にあったはずだ。

 ラップ主体の曲がメジャーシーンに躍り出たのはランD.M.C.かビースティ・ボーイズが最初だったような気がしていたが、調べてみると「ロック・ミー・アマデウス」の全米チャートインが86年2月、ランD.M.C.の「ウオーク・ディス・ウェイ」が86年7月(最高位4位)、ビースティ・ボーイズの「ファイト・フォー・ユア・ライト」が86年12月(最高位7位)。ファルコが最も早かったことになる。しかも、最も大きなヒットである。もしかして初のラップ曲ナンバーワンヒット? 彼こそラップの先駆者と言えるのではなかろうか。

 ファルコの名を知ったのはそれよりも前の83年、英国のバンド、アフター・ザ・ファイアーの「秘密警察」という曲が全米5位のヒットを記録した時だった。キャッチーでかっこいいこの曲はファルコという歌手の「デア・コミッサー」という曲のドイツ語歌詞を英語に書き換えてカバーした曲であるとのことだった。当時はユーチューブもなく、原曲を聴いたのは「ロック・ミー・アマデウス」のヒット後だったはずだが、82年に発表しヨーロッパでヒットしたというこの曲もラップである。その先駆性を改めて思う。

 残念なことにファルコは98年、交通事故により40歳の若さで亡くなってしまった。(洋)