ドイツを拠点とする音楽プロジェクト、エニグマはグレゴリオ聖歌や民族音楽と電子音楽のダンスビートを掛け合わせたヒーリングミュージックの先駆けだ。1990年のファーストアルバム「サッドネス(永遠の謎)」が傑作で、収録曲「プリンシプルズ・オブ・ラスト」が圧倒的に素晴らしい。
「プリンシプルズ・オブ・ラスト」は、アルバムに先行して発表されてヒットしたシングル曲「サッドネス」を取り込み、12分近い曲に仕立ててある。重低音のドラムのビートに続き、厳かなグレゴリオ聖歌が加わり、シンセサイザーが浮遊感のある音や星が流れるような音を奏でて神秘的。
女性ボーカルのサンドラ・クレトゥがフランス語でささやく声やハァハァ…とあえぐ声も入る。神聖な宗教音楽とセクシーなあえぎ声というギャップの大きい素材の組み合わせが秀逸だ。ささやき声は「サド、教えて」「サド、ちょうだい」といった内容。サドとはサディズムの語源になったフランスの作家マルキ・ド・サドのことかと思う。
収録曲「ミア・カルパ」もグレゴリオ聖歌とサンドラのささやき声、あえぎ声という組み合わせは同じ。雨の音と教会の鐘の音で静かに始まり、パーカッションの小刻みなビートが加わってアップテンポになり、ひと味違うがかっこいい。

93年のセカンドアルバム「ザ・クロス・オブ・チェンジズ」に収録された名曲「リターン・トゥ・イノセンス」はかなり趣が異なるのが興味深い。台湾のアミ族の歌を取り込み、エイヤイハーイヨ、アイアイヨー…という歌声が素朴で力強い。ゆったりとしたドラムのビートも相まって大地の広がりを感じさせ、タイトル通り「無垢」で心が和む曲。サンドラは、リターン・トゥ・イノセンス…というささやき声で参加する。
比べると「プリンシプルズ・オブ・ラスト」のインパクトは余計に際立つ。カナダのバンド、デレリアムの曲「サイレンス」もグレゴリオ聖歌を取り込んだが、女性ボーカルのサラ・マクラクランの歌の比重が大きく、ポップな仕上がりで、なまめかしさはない。エニグマは、伝統音楽と電子音楽の融合にとどまらず「聖」と「性」を組み合わせて背徳的な魅力を生んだ発想が大胆。際どさを自覚してか、当初はメンバーの名を伏せ、謎めかした演出もしたたかだ。 (志)