旗艦店のビームス原宿
旗艦店のビームス原宿
旗艦店ビームス原宿の店内
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旗艦店のビームス原宿 旗艦店ビームス原宿の店内

 25年間程、ビームスで働いてきて、さまざまなピンチや失敗に直面してきました。誰しもピンチや失敗はあります。大事なのはそれをどう乗り越えるかです。

 一つはユニクロやH&M、ZARAといった「ファストファッション」の台頭でした。宣伝・PRという立場に身を置いている中で、雑誌などのメディアでは、ビームスなどの「セレクトショップ」が一定の注目を集めてきました。そこに2000年代半ば、急速にファストファッションが注目され、洋服に対する価値観そのものが変わっていきました。ある程度、値段のする洋服が一部の人の趣向品として位置づけられていく。そんな空気すら感じました。

 古着やメゾンといったようなマーケット的流行がある中で、市場価格そのものが変わり、服が”消費されるもの”へという感覚も市場でより認知されるようになりました。予測していなかったことです。テレビや雑誌も急速にファストファッションを取り上げるようになりました。ファストファッションを否定するという意味ではなく、ファッション業界全体として「このままでいいのか」と危機感がありました。宣伝PRは会社の窓口を担いますので、プレッシャーはとても大きなものでした。

 もちろん会社として今までのやり方や伝え方だけでは進められない状況に陥りました。既存のブランドやショップは荒波に対応しようと、商品価格を変えたり、廉価な商品を開発したりと試行錯誤をしていました。しかし、価格が下がるほど産業全体としては、しぼんでしまいます。

 そこで私たちは、トレンドに左右されるだけではないプロモーションを展開しようと試みました。そのうちの一つとして掲げたキーワードは「ビームスが提案するライフスタイル」です。扱っているモノ自体には絶対的な自信を持っている。これまでにビームスがやってきたことを胸を張ってやることを徹底しました。幸い、それが伝わり、多くのお客様に支持いただきました。

 ビームスは「流行の振り子の最下層」にいて、そこで幅をつくる存在だと思っています。仮に流行が左右に振れたとしても、ビームス的にはそのどちらへも対応できます。

 ピンチといえば、イベントで一緒に仕事をしていた当事者が急にいなくなってしまったことなどいろいろありました。その中で、今もはっきりと覚えているのはやはり24年前に大阪からの異動で東京本社に呼ばれた時です。

 PRという言葉すら知らない自分が、会社全体の施策をやることになったり、昨日まで雑誌で見ていた人たちといきなり一緒に仕事をすることになったりと目まぐるしい日々。「期待を裏切らないように」という気持ちが一番でした。毎日、商品の貸し借りをしたり、PR用の撮影の準備をしたりと忙殺される中で、改めて自分なりに洋服の知識やコミュニケーションのノウハウを必死で学んだことが、結果的に今につながっています。

 実は「最大の失敗談」というと現在進行形なんです。まだ詳しく言えませんが…。

=随時掲載=

 どいじ・ひろし ビーアット代表取締役、ビームス執行役員ディレクターズ バンク室長・コミュニケーションディレクター。ビームスで15年以上にわたってPR宣伝を担当してきた。出雲市多伎町出身。出雲観光大使。