ビームス創業40周年を記念して作成した書籍
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 仕事でさまざまなことが立て込み過ぎて、思い出そうとしてもその当時のことがうまく思い出せない。そんな経験をしたことはありませんか? 私はあります。ビームスの創業30周年の記念事業に携わった時です。

 ビームスは周年事業に力を入れる会社として界隈で有名です。ある時は真冬に季節外れのひまわりの花を会場に敷き詰めて式典を開いた、といったエピソードがあります。

 私が初めて携わったのは創業25周年記念事業です。以前の連載(13回目)で詳しく紹介しましたが、事業の一つとして雑誌1冊をまるごとジャックするなどしました。

 周年事業に携わると会社のことが隅々までよく分かります。1冊の雑誌をつくるために各種レーベルの情報を集約して、組み立てていかなければならず、会社設立からのプロセスも理解しないとならないからです。その時に初めて「ビームスって本当にマルチな会社だな」と思い知りました。それほど多種多様な事業を展開していました。

 それから5年後の30周年の際、ビームスはコーポレートロゴをアップデートしました。実はこれに気付いていない人の方が圧倒的に多いのではないかと思います。ビームスのコーポレートロゴは地球の形です。それまでは地球を2周するように円が描かれていましたが、30周年を機に3周するロゴに変え、お客さまが買い物をした際に商品を入れて渡す袋もリニューアルしました。

 私は当時、帝国ホテル東京(東京都)で開く記念式典の総合企画責任者を任されました。雑誌の編集に集中すれば良かった25周年事業の時とは打って変わり、「プランナー」という肩書きが当てられ、式典やイベント、商品展開、さらに本番に至るまでのPR全般など全てに携わることになりました。

 PRはひたすらアウトプットを続け、企画部門はひたすら企画を練り続ける。その両方をやらなければなりません。企画を練ってアウトプットすることの繰り返しです。

 周年に合わせたファッションブランドとの別注商品の開発プロジェクトもあります。各種媒体を使ったメディア事業も並行して動いています。笑い話ですが、その時はほとんど寝ずに準備を続けました。予期せぬ出来事やトラブルが次から次へと起こり、そのもう一方で膨らんでいく予算面のことも考えなければなりません。完全に自分自身のキャパシティーをオーバーしてしまっていたのでしょう。当時の記憶は正直言って曖昧です。私一人でやっていたわけではありませんが、責任者として矢面に立たなければならないプレッシャーとは常に隣り合わせでした。

 この時、ついにビームスも独自に雑誌をつくりました。その名も「B」と名付け、年4回発刊しました。まだSNSなどはない時代でしたが、プロモーションムービーのようなものも実験的に作りました。随分前のことなので、残念ながらもうインターネットにもアーカイブされていません。そこまで全てを注いだ事業は多くの人の力を借り、結果的になんとか成功を収めることができました。

 周年事業は2016年の40周年で最高潮を迎えます。『BEAMS TOKYO CULTURE STORY 今夜はブギー・バック(smooth rap)』としてミュージックビデオをつくり、俳優の池松壮亮さんや小松菜奈さんらが登場。多数の広告賞の受賞を含めて、これまでの周年事業で最も反響を集めました。その際もさまざまな試行錯誤やエピソードがありますので、また別の機会に紹介します。

=隔週月曜掲載=

 どいじ・ひろし ビーアット代表取締役、ビームス執行役員ディレクターズ バンク室長・コミュニケーションディレクター。ビームスで15年以上にわたってPR宣伝を担当してきた。出雲市多伎町出身。出雲観光大使。