竹島で漁業権を行使した久見地区の漁師ら=1954年5月(島根県竹島資料室提供)
竹島で漁業権を行使した久見地区の漁師ら=1954年5月(島根県竹島資料室提供)

 島根県が竹島(島根県隠岐の島町、韓国名・独島=トクト=)周辺海域での共同漁業権の免許を隠岐島漁業協同組合連合会に与えた。免許は1953年から10年ごとに更新しており7回目となる。実際には韓国が武装した独島警備隊を配置しており、70年近く操業ができないままとなっている。漁業関係者は「未来永劫(えいごう)、漁業権の行使ができないのは間違いだ」と憤りの声を上げる。

 1947年に連合国軍総司令部(GHQ)が竹島を海上爆撃演習地区に指定したため周辺海域に近づけなかったが、53年に解除された。同年、県は漁業権について、アシカ猟は隠岐の島町久見の3人に許可し、アワビやサザエといった海産物は同年結成された隠岐島漁連に免許を与えた。

 隠岐全域の漁業者で組織する隠岐島漁連は10年ごとに免許を申請し、今年9月に向こう10年の漁業権を得た。竹島の海岸線から500メートルの範囲で年間を通して操業できる内容だ。

 代表理事を務める浜田利長さん(84)=島根県隠岐の島町津戸=は「免許だけでも更新しないと、竹島は韓国のものになってしまう」と声を強める。「更新だけでは行くことはできない」と述べ、町幹部とともに毎年永田町や霞が関へ要望し、安全操業の実現を訴え続けている。

 日本のイカ釣り漁船は70年代後半まで竹島周辺海域で操業できたが、島に接近した浅い海域の操業で漁業権を行使したのは54年5月、県の支援でワカメ漁などをした同町久見の漁業者11人が最後となっている。

 11人のうち、祖父前田峯太郎氏と、祖父の弟の佃祥次郎氏をよく知る同町久見の前田芳樹町議(72)は「領有権イコール漁業権となるべきだ。日本政府がしっかりやってもらわなければ困る」と憤る。峯太郎さんをはじめ、久見地区の漁師たちは65年の日韓基本条約で竹島が戻ってくると信じて疑わなかった。

 条約で領有権に触れず、事実上の「棚上げ」となったと知ると「日本政府はつまらん」と激怒していたのを、当時中学生の前田さんは今でも鮮明に記憶する。「竹島を取り戻すよう遺書で書いた人もいる。何としてもしっかりと交渉してほしい」と念を押した。

 (鎌田剛)