大田市三瓶町池田の三瓶山・西の原に植わる樹齢400年超えのクロマツ「定めの松」が枯死し、市の天然記念物指定を解除されることになった。12日、市文化財保護審議会が市教育委員会に答申した。江戸時代に一里塚の目印に植えられたとされ、戦前戦中は旧陸軍の演習場、戦後は開拓団の入植地や観光地と、時代の変化を見守ってきており住民が当時を振り返り、寂しさをにじませた。(勝部浩文)
定めの松は、旅人らの目印とした一里塚が全国的に作られた江戸初期、初代石見銀山奉行の大久保長安が交通網の整備を進めた際に植えたと伝わる。案内板には推定樹齢400年、直径1・7メートルと紹介する。
かつて県道を挟んで東と西に1本ずつ植わっていたが、西のマツは2007年に枯死して伐採。残る東のマツも21年ごろから急速に樹勢が衰え、住民や市教委の回復活動もむなしく今年6月、樹木医が枯死と判断した。
マツはいずれ伐採される予定で、三瓶の移ろいを誰より長く見てきた老木に、思いをはせる人は多い。終戦直後の1946年、開拓民として両親と三瓶に入植した福田嘉昭さん(86)は、当時青々と茂ったマツの姿に「見たことがない大きさの大木で、子ども心に驚いた」と振り返る。
80年代初めまでは周囲に乗馬体験場があり、マツは乗馬の発着点だった。両親が体験場を営み、当時のにぎわいを知る同町池田の南家義博さん(75)は「さみしいね」とぽつり。同町池田の中村和平さん(92)は「三瓶にはマツの名木が9本はあったが、皆枯れてしまった」と悔やんだ。
定めの松は枯れたものの、東西には接ぎ木で育てた西のマツの2世苗が力強く成長している。保護活動を続ける大田の自然を守る会の伊藤宏会長(84)=大田市大田町=は「西のマツが枯れた時に東のマツもすぐに枯れるという診断を受けていた。あれから十数年間も本当によく頑張った」と東のマツの頑張りをたたえ、2世の育成を誓った。