太平洋戦争中、南方の戦地と日本をつなぐ唯一の連絡手段が手紙だった。遠く離れた愛する人を思い気持ちをつづったが、1945年8月6日の原爆投下で再会が果たせなかった家族がいた。

 「二年したらかえってくる、といわれたが、もう四年ぐらいたつではないか」。幼い字に犬の絵。南方の戦地にいる父への恋しさをつづったのは、当時12歳だった盛...