山陰中央新報社文化センターの特別講座「小泉八雲とセツ 歴史遊覧船」は、松江城(松江市殿町)を囲む堀川を遊覧船で進みながら、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)と妻セツのゆかりの地を巡る。夫婦をモデルにしたNHK連続テレビ小説「ばけばけ」の10月スタートを前に、135年前の松江に暮らした2人に思いをはせる機会になる。

この春、予約制で運航が始まった堀川遊覧船の特別便「小泉八雲とセツ 歴史遊覧船」を利用した講座。通常の遊覧船は、船頭さんが操縦しながらガイドをするが、歴史遊覧船は『親子で学ぶ小泉八雲』の著書もある元島根県古代文化センター長の宍道正年さんがガイドとして乗り込み、「八雲とセツ」に絞った解説をしてくれる。

出発地は、ふれあい広場乗船場(松江市黒田町)。「小泉八雲とセツ」の大きな文字が屋根にあるのが歴史遊覧船だ。出発して間もなく、最初のゆかりの地が現れる。1868年2月4日、松江藩士の小泉家に生まれたセツ(節分にちなんでセツと名付けられた)が数日後に養女として迎えられた稲垣家だ。といっても家が残っているわけではなく、「おおよそあの辺りにあったようだ」と宍道さんが指し示す南岸に目を向ける。


城により近い内側の堀である内堀に入った船が南に進み、最初にくぐるのが稲荷橋。この橋は八雲が通勤路として通ったという。橋を渡った先にある城山稲荷神社、とりわけ境内にある石ギツネを八雲が好んだことはよく知られる。木々が生い茂る内堀を進み、左に島根県庁を見て、広い京橋川に出る。

現代の街並みとなり、左の岸に島根県警察本部、県庁南庁舎、県市町村振興センター(タウンプラザ島根)の建物が並んで見える。八雲が暮らしていた明治時代、そのあたりに島根県尋常中学校と尋常師範学校があったとの説明を聞く。いずれも八雲が英語教師をしていた学校で「八雲の英語の授業は分かりやすくて生徒に人気だったようだ」(宍道さん)。


米子川を北進し突き当たりを左に曲がると、怪談「小豆磨(と)ぎ橋」で知られる普門院(松江市北田町)に至る。ホラー映画のような、おどろおどろしい「小豆磨ぎ橋」の物語を宍道さんが紹介。八雲はこの話を住職から聞いて作品に仕上げたそうだ。船は寺の前にかかる普門院橋をくぐる。堀川遊覧船は高さの低い四つの橋を通過する際に屋根を下げるが、普門院橋は屋根を最も低くたたむ〝難所〟の一つ。乗客も姿勢を低くして無事に通過した。宍道さんによると、この普門院橋が「小豆磨ぎ橋」だと思っている人もいるが、実際は違う。近くの別の場所にあったとみられ、現存はしていないという。

川幅の広がりとともに視界が開け、左前方に松江城天守を望む。右手には城下町の風情漂う「塩見縄手(しおみなわて)」の通りがあり、観光客が行き交う。この通りの人気スポット「武家屋敷」は、セツの母親の実家・塩見家の先祖・塩見小兵衛の屋敷であり、通りの名前の由来にもなった人物だ。

コース最後のゆかりの地「小泉八雲旧居」が見えてきた。松江の寒さがこたえた八雲がセツと共に熊本に移り住む1891年11月までの5カ月間、2人が生活したところで、地元では「ヘルン旧居」として親しまれる。ハーンではなく、ヘルンと呼ばれるのは、八雲が1890年夏に松江に来るとき、島根県庁の担当者が「ハーン」のところを誤って「ヘルン」と書き、八雲もそれを気に入ったからという。「小泉八雲」の名前は、八雲が松江から熊本を経て神戸に移り住んだ1896年、セツと正式に結婚して帰化した際に付けた日本名だから、松江にいたときは「ヘルンさん」だったというわけである。
出発地点の乗船場に戻って50分の船の旅は終了。八雲が松江で過ごしたのはわずか1年3カ月だが、セツと出会い、さまざまな日本の文化に触れた貴重な1年3カ月だったとあらためて知った。朝ドラではどんなふうに描かれるのだろう。
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文化センターの特別講座「小泉八雲とセツ 歴史遊覧船」は4月24日も開催する。受講料3800円(乗船料、保険料含む)。問い合わせ、申し込みは松江教室、電話0852(32)3456、フリーダイヤル(0120)079123。
団体・グループでの歴史遊覧船利用に関する問い合わせは宍道正年さん、電話090(9464)6232。