「中渡瀬アルバム」を復刻した井上貴央名誉教授=米子市内
「中渡瀬アルバム」を復刻した井上貴央名誉教授=米子市内

 昭和初期の1934年6月に竹島(島根県隠岐の島町、韓国名・独島(トクト))であったニホンアシカ猟を記録した写真集「日本海・竹島のアシカ猟 1934(昭和9)年の取材記録と『中渡瀬(なかわたせ)アルバム』」が出版された。鳥取大の井上貴央名誉教授(73)=形態解析学=が中心となり、従来知られる写真に未発表の物を加え、分析を記した。井上さんは「ニホンアシカが竹島にすみ、日本人のなりわいが確かにあった」と話し、竹島と隠岐のつながりが広く伝わることを願っている。

 写真は、井上さんと島根大非常勤講師の佐藤仁志さん(75)が92年、ニホンアシカの調査で西郷町港町(現・隠岐の島町)を訪れた際、中渡瀬ナツさん=故人、当時(76)=から「トンド焼きに出そうと思った」と、処分する直前に見せられた。台紙に六切りの写真が計23枚貼られたものと、挟み込まれた写真3枚があった。

 34年6月、ナツさんの義父・仁助さんらが竹島に向かい、網を使ってアシカを生け捕りにする様子が克明に撮影されていた。写真は同行した大阪朝日新聞写真部員が撮影し、記念に仁助さんに贈ったもの。同紙では34年6月末から11回の連載記事となった。アシカの生態や地形、漁師たちが寝泊まりする小屋の様子、アシカ猟の手法といった貴重な記録が詰まっている。

 写真の一部は他の報道機関や研究者が複写するなどしてさまざまな形で使われた。アルバムを託された井上さんは今回、撮影された人々の経歴や、場所などを詳細に調べ、研究結果として発表することにした。

 竹島の岩場にしゃがむ仁助さんと小屋で将棋に興ずる漁師ら、2枚の未公開写真も掲載。「一つのまとめができた。これまで誤って解釈された部分があり正したい思いがあった」と話した。A4判。産経新聞出版。2970円。(鎌田剛)