鍋谷大日堂の釣り鐘=2025年2月、安来市広瀬町下山佐(下山佐交流センター提供)
鍋谷大日堂の釣り鐘=2025年2月、安来市広瀬町下山佐(下山佐交流センター提供)
下山佐の釣り鐘について話す目次謙一課長=安来市広瀬町下山佐、下山佐交流センター
下山佐の釣り鐘について話す目次謙一課長=安来市広瀬町下山佐、下山佐交流センター

          
鍋谷大日堂の釣り鐘=2025年2月、安来市広瀬町下山佐(下山佐交流センター提供)

          
下山佐の釣り鐘について話す目次謙一課長=安来市広瀬町下山佐、下山佐交流センター

 安来市広瀬町下山佐にあった鍋谷大日堂の釣り鐘をテーマにした講演会がこのほど、下山佐交流センターであった。島根県立古代出雲歴史博物館の目次謙一学芸情報課長(53)が大日堂の鐘や、鐘が造られた同町宇波地区の鋳物造りについて研究成果を紹介した。

 目次課長は2月と10月に住民の案内で現地を訪れ調査した。大日堂の棟札から「お堂が再建されたのは1963年とみられ、訪れる人が少なくなり廃れたのだろう」とした。

 釣り鐘は銅製で高さ約80~90センチ、直径約40センチ、重さ100キロ。鐘に彫られた銘文から1929(昭和4)年に宇波の鋳物師・細田家が造り、鍋谷の信徒ら16人が協力したことが読み取れると説明した。

 下山佐の南東約7キロにある宇波地区では16世紀以降、加藤、山崎、細田、新石(あらいし)、家島の各家が鋳物師として記録に残るが、今は鋳物造りは行われていないという。

 目次課長は、釣り鐘は何らかの事情で供出を免れたと推測し「宇波で鋳物を造った人々が手がけ、今も残る最後の釣り鐘かもしれない。貴重なもので大切に守ってほしい」と強調した。

 講演会は同交流センターが主催し地区民ら約80人が聴講した。(中山竜一)