1944年11月、瀬戸内海に面した広島県の忠海高等女学校に通う約160人が、沖にある大久野島に集められた。周囲4キロほどの小さな島は、当時の地図には載っていない。島にある工場が、高度の軍事機密下に置かれていたからだ。工場の正式名称は「東京第2陸軍造兵廠忠海製作所」。

 160人のうちの1人で、15歳だった岡田黎子さん(96)は、入所式での所長の訓示を覚えている。

 「ここでの兵器生産は極秘である。家族といえども言ってはならない」

何をさせられるのかは見当もつかない。ただ、「正義の戦争に参加する名誉ある国民」として懸命に働かなければ、と思った。それが後に半世紀を超えて社会の脅威になるとは、思いも寄らなかった。(共同通信=辰巳知二)

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