2011年3月15日、日本は「運命の日」を迎えていたのかもしれない。東京電力福島第1原発2号機は14日から、燃料が露出する事態に見舞われ、原子炉格納容器は破損が心配されるほど圧力が異常上昇した。15日未明にかけ首相官邸では東電の「撤退問題」が議論され、午前4時17分、首相の菅直人は東電社長の清水正孝と会談し「撤退などない」と明言、政府と東電の事故対策統合本部の設置も表明した...
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