インタビューに答える瀬戸内寂聴さん=2016年6月、京都市の寂庵
インタビューに答える瀬戸内寂聴さん=2016年6月、京都市の寂庵

 「夏の終り」「かの子撩乱」など愛と人間の業を見詰めた小説や、痛みや孤独を抱える人々の心に寄り添う法話で知られ、文化勲章を受章した作家で僧侶の瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)さんが9日午前6時3分、心不全のため京都市内の病院で死去した。99歳。徳島市出身。自宅は京都市右京区嵯峨鳥居本仏餉田町7の1、寂庵。葬儀は近親者で行う。後日、東京都内でお別れの会を開く予定。 

 10月に体調を崩し、入院していた。新聞や週刊誌で連載を抱え、最期まで執筆意欲は衰えなかった。

 神仏具商の家に生まれ、東京女子大在学中の1943年に結婚。北京に渡り、敗戦で帰国した。離婚を機に小説を書き始め、瀬戸内晴美の名前で発表した「女子大生・曲愛玲(チュイアイリン)」が57年に新潮社同人雑誌賞を受賞。

 2人の男性の間で揺れる女性の心理を描いた私小説的作品「夏の終り」で63年に女流文学賞を受賞し文学的地位を確立。流行作家として娯楽色の強い作品を量産する一方で、作家岡本かの子を描いた「かの子撩乱」や女性運動家伊藤野枝に迫った「美は乱調にあり」など因習をはねのけ生きた女性の伝記小説を次々に発表した。

 73年、岩手県の中尊寺で得度し、寂聴を法名に。その後、本名も晴美から寂聴に改めた。

 京都・嵯峨野の寂庵に暮らし、定期的に法話を開催、全国から訪れた人々の悩みに耳を傾けた。岩手県の天台寺住職も務めた。一遍上人を描き、92年に谷崎潤一郎賞を受賞した「花に問え」や、西行を題材にした「白道」など仏教色の濃い小説も手掛けた。

 98年に「源氏物語」の現代語訳全10巻を完成させ、平成の源氏ブームをけん引。2006年の文化勲章受章後も、世阿弥を描いた07年の「秘花」がベストセラーに。11年の自伝的短編小説集「風景」は泉鏡花文学賞に選ばれた。17年に最後の長編小説「いのち」を刊行した後も文芸誌で連載し、18年には句集「ひとり」で星野立子賞を受賞。

 社会的発言や活動も多く、後に冤罪(えんざい)が確定した徳島ラジオ商刺殺事件の再審請求を支援。湾岸戦争などの際には反戦を強く訴えた。東日本大震災後には原発再稼働に抗議しハンストを行い、15年には国会前の安全保障関連法案反対集会に参加、連合赤軍事件の故永田洋子・元死刑囚と交流を続けた。