網の手入れをしながら屈託のない笑顔を見せる中島栄さん
網の手入れをしながら屈託のない笑顔を見せる中島栄さん

 松江市本庄町の中海で全長1メートルもの巨大ウナギが捕獲され、全国のニュースで取り上げられた。このニュースがインターネットを経由して配信されると、巨大ウナギ以上に捕獲した91歳の現役漁師が注目を集めた。コメント欄には「人生の先輩として尊敬する」といった称賛の声が相次いだ。全国の話題となった91歳の現役漁師を訪ね、長年漁師を続けてきた理由や健康の秘けつを聞いた。(Sデジ編集部・吉野仁士)

 

 巨大ウナギを捕獲したのは漁師歴76年の中島栄さん。11月12日、仕掛けた小型定置網に全長1メートル、重さ約2・6キロの巨大ウナギがかかった。一緒にかかったアカエイやクロソイと比べてその大きさは一目瞭然で、中島さんは「小型定置網を使うようになって60年以上だが、これほどの大きさがかかるのは初めてだ」とびっくり。なじみの鮮魚店に知らせたところ「日本最大の大きさでは。報道機関に知らせよう」という話になり、情報提供したところ、テレビや新聞が一斉にニュースとして取り上げた。

 山陰中央新報の記事 がインターネットのヤフーニュースに掲載されると、約100万のページビュー(PV)があり、600を超すコメントが寄せられた。コメント欄では、巨大ウナギはそっちのけで、中島さんの年齢と、記事に併用された写真の屈託のない笑顔が話題になった。「91歳でこの体力、はつらつとした笑顔はすごい!」「人生の先輩として尊敬します」「自分も頑張ろうと思わせられた」と称賛する声が続々と寄せられた。

 中島さんの元にはニュースを見た知り合いからの電話が相次いだといい「皆さんから思われるほど重労働ではないし、健康でさえあれば続けられる仕事。うれしいはうれしいけどね」と少し照れながら笑った。

 

▼日の出とともに出漁、日没後に就寝

 中島さんの1日は日の出前の起床から始まる。午前3、4時ごろに自然と目が覚め、湖が荒れていなければ日の出と同時に出漁する。季節を問わず、ほぼ毎日漁に出る。

 定置網に掛かった魚や貝を引き揚げ、2時間後に帰宅して朝食。以降は夕方まで、昼食の時間を除いて網のほつれを直し続ける。中島さんは「長く使うと網が傷んでくるし、カニが破ることもある。大事な商売道具なので手入れが欠かせない」と話した。

海で仕掛ける網を用意する中島さん。1人だと船に網を乗せるのも一苦労だが、何十年も続けている

 夕方に帰宅し、夕食を食べた後は晩酌を楽しむ。昔は漁師仲間と居酒屋で飲んだそうだが、漁師の高齢化や魚の減少に伴って仲間は減り、昔から漁師を続けているのは町内で中島さん1人になった。

 飲む酒の量は減ったが、今でもほぼ毎日、1合の酒を楽しむ。昔から間食を全くしない代わりに酒を楽しんだそうで「これが最大の楽しみ。よくこんな生活を何十年も続けられたものだ」と屈託なく笑う。

 晩酌が終われば遅くても午後8時には就寝する。食事や洗濯といった家事は妻のサダコさん(93)が担当する。漁だけに打ち込む昔ながらの気質かと思いきや、腰の悪いサダコさんのため、食材の買い出しは中島さんが3輪バイクを走らせるという。優しい一面ももちろんあって「健康でいられるのも奥さんのおかげだから」とはにかむ。

中島さんが毎日使う愛用のバイク。10年以上使ったものを今年新調したばかりだ

 漁の魅力は漁獲量が予測できないことだという。生き物が相手のため、予定する漁獲量の1カ月分が1日で捕れることがあれば、逆に全く捕れないこともある。中島さんは「最近は数が減ってしまったが、昔は魚や貝がよく捕れたしよく売れた。毎日『今日は何が捕れるだろう』と楽しみにしながら漁に出ていたら、いつの間にかこの年齢になっていた」と言う。

 漁に出るため規則正しい生活と運動をほぼ毎日繰り返すせいか、大きな病気は15年前に軽い脳梗塞を患い、1カ月入院した以外は、ほぼないそうだ。中島さんにとって、現役で漁師を続けてきたことが最大の健康の秘けつだろうが、このほか、早寝早起きをする▽間食をしない▽奥さんを大事にするーの3点も、ウナギ写真で全国の人が感動した屈託のない笑顔の理由だろう。

 巨大ウナギを捕獲した日も、いつも通り午前3時に起床。午前5時に出漁し、午前6時前に網を引き揚げて大物に出くわした。特に予兆のようなことはなく、いつも通りの仕事をこなす中で偶然出くわしたようだが、まさに76年続ける原動力となった、予測できないという漁の魅力を象徴するような出来事になった。

 

▼父親の手伝いで漁師に

 中島さんが漁師になったのは、高等小学校(現在の中学校)を卒業した15歳のころ。中島さんによると、中海に面する本庄町は昔から漁師の町として栄え、町民のほとんどは半農半漁だったという。中島さんの家も代々漁師だった。

 中島さんが高等小学校に通っていたころは戦時で、生徒は開墾作業や軍需工場の手伝いをさせられることが多く、勉強は二の次。中等学校(現在の高校)に進学するのは経済力がある一握りの生徒で、多くは家の跡継ぎや手伝い、志願兵になったという。

 中島さんが卒業した1945年、終戦。長男だった中島さんはそのまま漁師の父親を手伝った。「回りの友人も漁師になったし、当時は漁師が一番簡単にお金を稼げた。漁師になることに疑問はなかった」と振り返る。

「中海の漁師で、最初に木造船からプラスチック船に乗り換えたのは自分だ」と豪語する中島さん。網の手入れ中に話相手がいると昔話が尽きない

 

▼漁師生活を続ける理由

 昔は腕力と人数が必要な地引き網や船引き網が主な漁法で、赤貝(サルボウガイ)が1日で60キロ取れる日もあったそうだ。取れた魚介類は町内のつくだ煮の加工場や魚介専門の問屋に出荷して、生計を立てた。冬場も悪天候の日を除き、毎日漁に出た。

 年を重ねて腕力が落ち、魚が減った今は、網を仕掛けて魚が掛かるのを待つ定置網で漁を続ける。ハゼ、セイゴ、メバルといった魚を取り、地元の鮮魚店に出している。漁師が大勢いた時代と比べると稼ぎは落ちたが「自分が飲む酒代ぐらいは自分で稼がないと」と仕事の意欲は衰えない。

 76年の漁師生活の中で、漁師を辞めようと思ったことは一度もないという。若い頃、しけが続いて日銭が稼げず、家族を養うため建設現場へ働きに出たことはあるが、本業はあくまで漁師。「別の仕事をして船や網を放っておいたら傷んで使えなくなってしまう。漁師以外の仕事は考えられない」。76年分の思いが込められた言葉だった。

網の設置のために船を出す中島さん。船体には自身の名を冠した「栄丸」の文字が刻まれている

 これまでの漁師生活を振り返って思うのは、大病なく健康で漁を続けられたことへの感謝だそうだ。生活を支え続けた妻のサダコさんはもちろん、90歳を超えても自力で漁や外出ができる自分の体に「感謝しかない」という。漁師生活76年にして大ウナギが捕れるというとんでもない出来事も、長年漁師を続けてきたからこそ体験できた奇跡。「足が悪くなって漁を辞めるまでに、今回のような大物がもう1回ぐらい捕れたらいいな」と笑う。

 

 中海の漁のシーズンは通常なら冬ごろで終わりだが、中島さんは雪が積もるまでは変わらず毎日漁に出るつもりでいる。「健康でさえいれば90歳が95歳になっても変わらない。いつまで続くか分からないが、(漁を)やれる限りはやる考えでおります」。はつらつとした笑顔で締めくくった。