松江市忌部地区の地名をテーマにした講座が29日、忌部公民館(松江市東忌部町)であった。元松江歴史館専門官の宍道正年さん(73)=松江市西津田10丁目=が、古墳時代の玉作りの歴史との関係をひもといた。
古墳時代に忌部では隣接する玉湯町と共に儀式や贈り物に使う玉作りが盛んで、天皇の側近の豪族・忌部氏に供給した歴史があり当時、忌部と玉湯は「忌部神戸(いんべかんべ)」と呼ばれていたことを説明した。
マイナスイメージを持たれがちな「忌」という字について当時、天皇の元へ送られた玉は「御沐(みそぎ)の忌玉(いみたま)」と呼ばれ、身に着けると心身共に清められる玉という意味があったと解説。作った玉を清浄なものにするための儀式が、今でも地元で「玉の森」と呼ばれる、忌部神社近くの場所で行われたのではないかと推察した。
玉の森は玉作りの神「櫛明玉命(くしあかるたまのみこと)」の墓だと伝えられていることにも触れ「神聖な場所として忌部氏も重視し、地名が残っているのではないか。忌部は、古代出雲と大和政権を結んだ重要な場所だ。土地と地名に誇りを持ってほしい」と強調した。
講座は公民館と忌部歴史研究会主催で、18人が聴いた。近くの長岡恵造さん(71)は「地名に負のイメージがあったが、地域の素晴らしさを再確認できた」と話した。
(黒沢悠太)