松江工業高校男子バスケットボール部を率いて、全国大会で輝かしい成績を残した渡辺晴夫さん=大田市大田町=が1月下旬、96歳で亡くなった。多くの全国レベルの選手を育て、島根のバスケットボールを隆盛に導いた名将。教え子の一人、1982年のくにびき国体で成年男子の主将を務めて優勝した金津光則さん(69)=松江市島根町加賀=は「包容力と洞察力がある偉大な指導者。学ぶことが多かった」としのんだ。 (三浦純一)
渡辺さんは50~70年代にかけて、松江工高で指導。インターハイと国体で計11回決勝に進み、そのうち4回優勝した。「内に秘めた思いを持っている島根の県民性はディフェンスに向いている」。守りを固め、ボールを奪うと速攻に転じるスタイルを徹底し、黄金期を築いた。
高校3年間通して渡辺さんに教わった最後の世代だった金津さんは、指導の緻密さが印象に残っているという。練習時間は2時間程度と長くなかったが、守備を中心に密度が濃く、「高いレベルが求められ、妥協は許されなかった」と振り返る。
金津さんが3年の時に出場した国体で、島根は5位に入った。「相手の心を読め」。繰り返し掛けられた言葉を地道に実践すると、相手の次の動きを予測する力がつき、ディフェンスが得意になった。高校時代に勝った試合の多くは、相手チームを60点台以下に抑えての勝利。高校卒業後は、強豪・日大に進み、主将として活躍した。
渡辺さんは、監督を退いた後、くにびき国体に向けて県保健体育課長などを務め、男女総合優勝に力を尽くした。高齢になっても、講師の依頼を受けた講習会「渡辺晴夫塾」で指導法や心構えを伝えて後進の育成に当たり、ノウハウはマニュアルとしてまとめられた。
自ら研究し、卓越した理論と幅広い知識に裏付けられた指導法を構築。金津さんは今、思い起こしても「最先端の指導方針を持っていた。理にかなっている」と感じている。
渡辺さんの指導の根幹にあったのは教え子への愛情で、自身の思いやメッセージを色紙に書いて贈ることが多かった。「夢 熱中し追いつづけた 青春のどよめきが聞こえる」。金津さんの自宅には、渡辺さんが全国の高校生への思いをしたためた書が大切に飾られている。