2011年3月11日の東日本大震災から11年という節目を過ぎたばかりの東北を、またも大きな揺れが襲った。16日深夜の現場にいた山陰の在住者らや、11年前の震災から復興に関わり続ける人たちは「いつになったら安心できるのか」と先を案じた。
(取材班)
松江市殿町でブティックを経営している仙田兼崇さん(49)は営業で訪れていた仙台市内のホテルで揺れに遭遇した。縦横に激しく揺さぶられ、「(1995年の)阪神大震災を思い起こした」と、電話越しで話した。
17日午後、転居のため宮城県の仙台空港から島根に来た大学教授の三原毅さん(65)=仙台市青葉区=も「一瞬何が起きたか分からなかった。突き上げるような揺れで長く感じた」と振り返った。
11年前、東京電力福島第1原発事故を受け、福島県双葉町から松江市に移り住んだ桑原達治さん(57)は、一部で震度6強を観測した福島県内の友人や知人に連絡を取り続けた。
多くが、11年前の記憶が脳裏によみがえり、揺れが収まった後も、おびえていた感じだったという。「なぜ福島ばかりが…」とやるせなさを口にした。
東日本大震災以降、緊急時の対応力向上や、復興事業に取り組んできた関係者は、この日もできる限りの素早い行動を取った。
国立病院機構災害医療センター福島復興支援室(福島市)に勤務する元島根県立中央病院医師の小早川義貴さん(45)は、地震直後に市内の福島県庁に向かい、医療機関の状況把握を続けた。
震度6強で、大きな被害を受けた同県相馬市内の病院に向かう途中、壁が倒れた家屋の数々を目にした。
DMAT(災害派遣医療チーム)の派遣要請を出すほどの逼迫(ひっぱく)した状況ではなかったが、少なからず医師たちが自発的に県庁に集まり「臨戦態勢」を整えていた。「震災から11年、積み重ねてきたものがあると感じた」と語った。
ただ、繰り返される被害に、復興を目指す人々の心が折れてしまわないか、という懸念もある。
米子市からの派遣で、岩手県山田町の職員として復興支援に当たる山田津八百さん(67)は心配だった津波の被害がなかったことに胸をなで下ろしながらも、昨年の同時期にも大きな地震に見舞われていただけに「次いつ起こるか分からない不安がある」と東北の住民の思いを代弁した。












