松山英樹選手が男子ゴルフ四大大会の一つ、マスターズ・トーナメントで優勝した。日本の男子選手が四大大会で頂点に立つのは初めてだ。「世界のアオキ」と言われた青木功選手も及ばなかった金字塔を打ち立てた。
白血病からの完全復帰を目指す池江璃花子選手が競泳の日本選手権で次々と好記録を出し、東京五輪の代表チーム入りを決めたばかり。新型コロナウイルス禍で緊張を強いられ、不自由な生活が続く市民に再び明るいニュースが届いた。
松山市出身の松山選手は幼い頃からゴルフに親しみ、高知県の高校を卒業後、仙台市の東北福祉大で地力を付けた。大学1年でアジア・アマチュア選手権に優勝し、2011年4月のマスターズ出場資格を得た。
出場が間近に迫った3月11日に東日本大震災が起き、仙台市は大きな被害を受けた。19歳のときだ。心を痛めた松山選手がマスターズへの出場をためらうと「胸を張ってプレーしてきてほしい」など、激励のメールやファクスが続々と届いた。
ファクスだけでなく、メールも紙に印刷して現地に持ち込み、それを励みにして、アマチュアの部で優勝した。トップ選手への扉を押し開くきっかけとなった。
帰国し仙台市に戻ったとき、いつか表彰式で優勝者に贈られる緑色のジャケットに袖を通してみたいと語った。
自分の活躍に期待してくれる人の存在を意識するようになり、同時に世界的なプロ選手の実力を目の当たりにして、向上心が一段と高まったのだろう。
10年後、チャンピオンに輝いた直後のインタビューで、松山選手は多くの声援を受けた当時に再び思いを寄せ「(あの時)ここにやって来て、自分が変わった」と話した。
ゴルフは健康を維持するために、夫婦や仲間と親しむシニアも多いスポーツだ。快挙を喜ぶ市民は松山と仙台に限らず全国に、そして幅広い年齢層に広がったのではないか。
ゴルフ界にとって、この優勝はこの上ない喜びに違いない。青木選手が米プロゴルフツアーに日本選手として初めて優勝したのは1983年だった。国内ツアーで実績を上げ、米ツアーを主戦場に選ぶ選手は続いたが、四大大会の厚い壁は破れなかった。
全英オープン、全米オープン、全米プロの他の四大大会は毎年、さまざまなコースを巡りながら開催される。しかし、マスターズは必ず米ジョージア州のオーガスタ・ナショナルGCで実施される。
コースはなだらかな丘陵地帯に、高くそびえる木々の間を縫うように広がる。選手は長打力が求められるだけでなく、至る所に大きなうねりがあるため、高度な小技を持ち合わせていなければならない。
世界屈指の難コースであることが大会を特別な存在にし、選手の挑戦意欲をかき立てる。トップ選手がまさに目の色を変えて出場するのがマスターズだ。米ツアー通算6勝目となった松山選手は、その意味でまさに総合力を備えた選手であることを証明した。
一昨年の渋野日向子選手の全英女子オープン優勝もそうだが、日本勢の活躍の背景にあるのはジュニア層の裾野が広がったことだろう。力強く、多彩な技を持つ選手が続いて現れてほしい。