濱口竜介監督「ドライブ・マイ・カー」が、米アカデミー賞で国際長編映画賞を受賞した。
非英語映画を対象とし、かつては外国語映画賞と呼ばれていたこの賞を日本映画が受賞したのは、2009年の滝田洋二郎監督「おくりびと」以来だ。日本映画として初ノミネートされた作品賞や、ほかの監督賞、脚色賞の受賞は逸したが、日本映画史に残る快挙であったことは間違いない。
18年のカンヌ国際映画祭での是枝裕和監督「万引き家族」のパルムドール受賞、20年のベネチア国際映画祭での「スパイの妻」(濱口監督が脚本を共同執筆)の黒沢清監督の監督賞。そして、今回のアカデミー賞。
「ミゾグチ(溝口健二)、オヅ(小津安二郎)、クロサワ(黒沢明)」ら長年、海外で愛されてきた巨匠の後を継ぐ日本の監督たちが、世界から注目を集める時代は確実に訪れている。
43歳の濱口監督は、東京大文学部を卒業後、助監督などを経て東京芸術大大学院映像研究科に進んだ。こういった経歴も日本映画界の変化を如実に示している。1950年代の日本映画黄金期を支えた撮影所システムが70年代に崩壊。全く別の道筋で監督になった世代が、ようやく世界のひのき舞台に立った。
だが、率直に言えば、初めて見た時は、米アカデミー賞でこれほど高い評価を受けるとは予想していなかった。
米映画業界の祭典である同賞の選考をするのは、米映画芸術科学アカデミーに属する会員だ。しかも受賞すれば世界的規模でのヒットにつながるだけに事前活動も活発。2020年に「パラサイト 半地下の家族」で作品賞を受賞した韓国のポン・ジュノ監督も「長期的で組織的な運動が必要だった」と話すほどだった。
大手映画会社の製作ではなくミニシアター系のアート映画である「ドライブ・マイ・カー」が、新型コロナウイルス禍に苦しみ、ネットフリックスなど動画配信の台頭という大きなうねりの中にいる米映画界にどこまで受け入れられるかが疑問だった。だが作品そのものの力が予想を覆した。
妻を亡くした舞台演出家が専属運転手の若い女性との対話を通して、自らを見詰め直していく。
原作の村上春樹さんの短編小説を大胆に改変した脚本では、韓国、台湾などから参加した俳優が日本人俳優とともに、手話を含む異なる言語で舞台劇を作り上げていく場面を追加。多様性を表現すると同時に、喪失感に耐えて再生していく過程で他者とのコミュニケーションが持つ意味を重層的に問い掛けた。
作品のレベルの高さは、昨年のカンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞したのをはじめ、各地の映画祭での受賞で証明された。さらに、白人男性中心と批判を受けたアカデミーがここ数年で、女性や人種的少数派、外国人の会員を増やしたことも追い風になった。「喪失と再生」というテーマが、コロナ禍で身近な人の死を体験した人々の気持ちと響き合い共振したのだ。
コロナ禍のほかにも、ロシアのウクライナ侵攻や自然災害。不安と恐怖に覆われた世界に、「ドライブ・マイ・カー」は、つらくても生きていかなければならないと、静かに、だが、力強く訴えかけてくる。その思いが国境を超えて観客の心に伝わったことが、今回の受賞になった。