全国の公立図書館などに異例の文書を出した文部科学省=東京・霞が関(資料)
全国の公立図書館などに異例の文書を出した文部科学省=東京・霞が関(資料)

 文部科学省が各都道府県の学校図書館や公立図書館などに向けて出した一通の文書が波紋を広げている。

 北朝鮮の拉致問題に関する蔵書を充実するよう協力を要請する内容で、資料の収集・提供は外部の介入や圧力を受けず主体的に取り組むという図書館の理念を脅かすなどとの批判が、関係団体から相次ぐ事態となった。現場の業務に混乱が生じないよう、同省には真意を丁寧に説明するなど適切な対処を求めたい。

 文書は事務連絡として8月30日付で出された。「北朝鮮人権侵害問題啓発週間(12月10~16日)に向け拉致問題に関する図書等の充実を図るとともに、テーマ展示を行う等、児童生徒や住民が手にとりやすい環境の整備へのご協力を」との文面。若い世代の理解促進を重視する内閣官房拉致問題対策本部からの依頼を受けた対応と明記する。

 言うまでもなく、拉致問題は国民の生命と安全に関わり、解決に向けた取り組みは極めて重要である。事件を風化させないためにも社会が関心を持ち続け、国民全体で情報を共有することは大切だ。関連の蔵書を図書館が豊富にすること自体になんら異論はない。

 問題は、同省が特定分野の図書を指定して充実を求めた点にある。憲法が保障する「国民の知る権利」を脅かしかねないとの懸念を抱く異例のことだからだ。

 日本図書館協会の「図書館の自由に関する宣言」は、権力の介入や社会的圧力に左右されることなく、自らの責任に基づいて収集した資料を国民に提供することが図書館の任務とうたう。戦前戦中、図書館が国の検閲制度と連動するなど「思想善導」機関となって国民の知る権利を妨げたことへの反省から、1954年に制定された。

 同協会は、今回のような要請は過去に例がなく宣言の理念を脅かすと指摘。「学校や図書館への指示や命令と受け取られることにもなる」とし、是認できないとの見解を表明した。「現場にとって圧力となるのは明らか」(日本出版者協議会)、「国民の思想を縛るきわめて危険なこと」(全日本教職員組合)などと、取り消しや撤回を求める動きも出ている。

 文科省の担当者は「事務連絡に法的拘束力はなく、選書はあくまでも各図書館がそれぞれの基準で判断すること。宣言を逸脱する趣旨ではない」とする。相手側に応じる義務がない以上、自主性を損なうようなものではないとの立場のようだ。

 だが国から全国一律での求めとなれば、〝横並び〟を意識せざるをえなくなるなど、各館の主体性が失われる恐れがあることは否定できまい。

 同様のやり方で特定ジャンルの書物を選ぶよう促したり、逆に排除するよう頼んだりということがまかり通れば、事実上それは国家による介入や圧力にほかならず、ひいては知る権利がないがしろにされるであろうことは想像に難くない。

 そんな状況に陥らぬよう、政府は配慮を怠ってはならない。批判に耳を傾け、これを前例として安易に繰り返すことのないよう心してもらいたい。

 秋の読書週間が始まった。さまざまな本を手に取って知識や教養を高め、自由な意見表明に役立てたい。民主主義社会にとって図書館の果たす役割は重い。その存在が軽んじられるようなことがあってはならない。