少年事件の捜査や調査、家裁審判などの記録は、全て公共の財産である。肝心な司法に、その認識が希薄だったと言わざるを得ない。
1997年に発生した神戸市の連続児童殺傷事件で、逮捕された当時14歳の少年に対する少年審判の処分決定書など事件記録一式を神戸家裁が廃棄していたことが明るみに出た。同家裁は「適切ではなかった」としながらも「経緯や理由は分からない」と繰り返した。
お粗末の限りだが、各地の家裁でも、小6女児の同級生殺害事件(長崎家裁佐世保支部)や17歳少年の夫婦殺傷事件(名古屋家裁)などの記録が廃棄されていたことが次々に表面化した。
もはや一家裁の問題ではない。最高裁は遅まきながら有識者委員会で運用の検証をする方針を示したが、個別事例についても誰が廃棄の判断をし、どんな手続きを取ったのか、歴代の所長や職員らから事情を聴き、経緯を徹底検証すべきだ。
加えて警察、検察や少年の付添人を務めた弁護士らが一部の写しを保管している可能性もある。協力を得て、可能な限りの記録復元に努めてもらいたい。それが将来に対する司法の責任だ。
少年事件の記録は、最高裁の内規「事件記録等保存規程」に基づいて管理。少年が26歳になるまで記録を保存することや、史料的価値の高いものは「特別保存」として事実上永久保存することなどを定めている。
92年には、特別保存の対象として「全国的に社会の耳目を集めた」「少年事件に関する調査研究に重要な参考資料になる」―などを例示する通達が出ている。
連続児童殺傷事件は、5人の小学生が襲われ、2人が殺害されるという結果の重大性に加え、「酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)」を名乗り「さあ、ゲームの始まりです」と記した挑戦状の内容が社会を震撼(しんかん)させた。
少年は神戸家裁での審判の結果、当時の医療少年院送致となり、20年近く前に退院したが、その後も「元少年A」の名前で手記を出版するなど、社会的影響を与え続けている。
刑事処分(刑罰)の対象年齢を「16歳以上」から「14歳以上」に引き下げる少年法改正など、厳罰化のきっかけになったのもこの事件であり、「特別保存」の対象であることは明らかだ。
少年審判は原則非公開で、児童殺傷事件の当時は遺族らも傍聴できなかったし、記録の閲覧もできなかった。将来の閲覧の可能性を奪われた遺族らが廃棄を厳しく批判するのも当然だ。
特別保存の対象が不明確な上、最終判断は家裁所長に委ねられており、恣意(しい)的になる懸念がある。各地の家裁で記録が廃棄される一方で、西鉄高速バス乗っ取り事件(佐賀家裁)などは特別保存されており、まちまちだ。
刑事裁判については「刑事確定訴訟記録法」があり、記録の保存期間を刑の種類や刑期によって50~3年(判決書は最長100年)と規定。調査研究に有用と判断される場合は、法相が原則永久保存の「刑事参考記録」に指定する。
少年事件の記録も、最高裁の判断で変更できる内規ではなく、国会審議を経た法律で保存ルールを確立するべきではないか。「原則保存、廃棄は例外」に発想転換すべきだ。第三者を判断に関与させる制度の創設も一考に値する。