トラス英首相は英国史上3人目の女性首相として期待を集めたが、就任後わずか44日で退陣に追い込まれた。看板政策の大型減税の財源が曖昧だったため金融市場の大混乱を招いて撤回を余儀なくされ、与党や政権への支持率が急落、瞬く間に求心力を失った。
財政規律を軽視したポピュリズム的色彩が強い政策を市場が拒否した格好で、必要なときに「警告」を発する市場機能がある意味、健全に働いたと言えるだろう。
日本は政府の債務残高が国内総生産(GDP)比で約2倍と主要国で最悪の状態にありながら財政膨張に歯止めがかかっていない。本来は金利が上昇するはずだが、金融緩和を続ける日銀が抑え込んでいるため、明確なメッセージを発せないでいると考えた方がいい。今回、政権交代を「主導」した英市場の混乱は日本にとって対岸の火事であるはずはない。他山の石ととらえ、教訓をくみ取るべきだ。
ロシアのウクライナ侵攻に伴うエネルギー価格や穀物相場の高止まりによる物価上昇は家計や企業経営を圧迫しており、早急な支援が必要なケースもある。それでも財政出動に一定の節度を保ち持続性を担保することは、私たち現役世代の将来世代に対する責任だ。
しかし、電気・都市ガス料金の負担軽減策や観光需要喚起策を柱にした総合経済対策は20兆円強の国費を投入し、その大半は赤字国債を発行して賄う方向だ。自民党内では2022年度第2次補正予算案について、50兆円規模を求める声も出てきた。加えて、今後5年間でGDP比2%以上に倍増させる議論が進む防衛費についても検討が本格化してきたが、財源論は停滞気味だ。
トラス氏は7月から始まった保守党党首選で、今回、後任首相に決まったスナク元財務相と争い、減税による経済成長路線を打ち出して勝利した。首相に就任すると、物価対策として想定を上回る450億ポンド(約7兆4千億円)規模の大型減税を表明、一般家庭向けの光熱費支援策も打ち出した。ジョンソン前政権が決めた法人税率引き上げを撤回、富裕層向けの減税も盛り込んだ。
トラス氏は「高税率と低成長のサイクルを打ち切る」と、改革への決意を示したものの、財源が確保できるのか当初から疑問視されていた。経済対策全体としての整理も適切に行われたとはいえない。引き締め方向にある金融政策と矛盾すると国際通貨基金(IMF)が苦言を呈したほどだ。こうした中で財政悪化の懸念が高まり、通貨ポンド、国債、株式が急落する「トリプル安」が政権の体力を奪っていった。
財政の大盤振る舞いは可処分所得を増やし、その分消費をかさ上げする成長戦略の狙いもあったのだろうが、財源確保も含めて十分練られていたとは言えない。党内基盤が弱いトラス氏が、支持集めの呼び水として活用したのなら無責任と言うしかない。市場が同氏の退場を命じたのは、事態のさらなる悪化を防ぐ意味で英国にとって良かったのかもしれない。
英国は欧州連合(EU)離脱派が国民投票で勝利した16年以降、首相交代が頻発、スナク氏で5人目だ。ウクライナ危機に対応した国際協調維持のためにも、同氏は経済政策を立て直し、政治に安定を取り戻さなければならない。