2022年4月、山陰中央新報社に入社し、新聞記者として社会人生活をスタートした4人が何を思い、感じたのか。記者4人がこの1年を振り返った。<上>では、出雲総局報道部の佐野翔一、松江本社編集局報道部の小林竜大の記者2人が報告する。
「これが記者の仕事か」思い知らされた衝撃の出来事
(出雲総局報道部・佐野翔一)
6月1日夜、出雲市天神町で火事が発生した。建物火災の現場は初めてだ。不安な気持ちになりながら自宅から車を走らせた。現場に近づくと、木の燃える臭いが車の中からでも分かる。緊張からか鼓動が速くなった。

現場に到着し、写真を撮った後、合流した先輩記者と近くに住む男性に話を聞いた。すると突然、男性の奥さんが「お前らは人の気持ちが考えられんのんか」と先輩記者をどついた。衝撃的な出来事に言葉が出なかった。隣で必死に頭を下げる先輩を見て、自分たちは仕事なのか、悪いことをしているのか分からなくなった。たとえ批判されても事実に迫り、社会の出来事を正しく伝えるために、取材をしなければならない。「これが記者の仕事か」と、思い知らされた。
▼大変さ想像以上
文章を書くことは嫌いではなかったが、まさか記者になるとは思っていなかった。実際に配属され、現場に入ると、記者の仕事の大変さは想像以上だった。
火事や交通事故が起きれば、どんな時間でも現場に駆け付けて写真を撮らなければならない。書いた記事に対してデスクからの質問に答えられず「取材不足」と言われ、取材先に何度も問い合わせた。原稿を書くのが遅く、1本書くのに何時間もかかる。迷惑をかけてしまう申し訳なさと無力感でいっぱいだった。ストレスからか入社して5キロ太った。
そんな中でも読者の方や取材先の方に「記事見たよ」「ありがとう」と声をかけてもらえて、反響があることが一番のやりがい。町で声をかけてもらうこともあり、地域の温かさを感じた。
▼企画記事に挑戦
7月に出雲科学館開館が20周年を迎え、成果と課題を伝えよう企画として取り組んだ。何が書きたいのか分からず、取材先とのトラブルもあって毎日、悩んだ。通常の記事より取材に時間がかかり、難しさも違ったが、苦労した分、新聞に掲載された時は達成感があった。

入社して9カ月がたったが、取材の仕方や原稿の書き方を模索する日々。当たり前のことだがデスクの質問に1回で答えられるような取材を心がけていきたい。
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22歳。松江市出身。地元の多くの人と関わることができる新聞社の魅力に引かれ、入社を決めた。営業ができたらと思っていたが記者部門に配属された。
高1で野球辞めた記者、球児の姿に思わず…
(報道部・小林竜大)
4月、学生生活が終わり、社会人として新たな門出に胸を躍らせていた。入社して2週間ほどの研修を終え、警察担当だと告げられた時、「これから記者として生活していくんだ」と、じわじわと実感が湧いてきたのを覚えている。

半年間は主に刑事事件や事故などを中心とした記事を書くため、警察や消防の取材を任された。事故や事件発生時、現場へ駆け付けるのがこの担当の仕事だったが、正直なところ先輩に頼りっきりで、職場に負担をかけっぱなしだった。社会人としても、記者としても、何もできないままの自分に無力感を覚える日々だった。
▼さまざまなトラブル
自分の取材の至らなさをデスクに詰められることはたびたびだが、記事を出し「面白かった」とか「いい写真だった」と成果を誰かが認めてくれるたびに、やりがいを感じ、仕事への活力も湧いた。
凶悪な事件の少ない山陰両県とはいえ、何かしらの事件は毎日起きている。数百万円の被害に遭う特殊詐欺事件だったり、少年による暴行事件だったりと知らないだけで身の回りには年代や社会的属性を問わずにさまざまなトラブルがあふれているのだと実感した。
▼球児の姿に涙
もう一つ思い出深いのは高校野球の取材だ。小、中と野球を続け、高校1年の時に野球部を辞めた記者は、どこか野球というスポーツを避けていた。だが、ダイヤモンドを駆ける選手たちの姿を見るうちに、球児たちの奮闘を応援する自分がいることに気がついた。

個人的には野球というスポーツに思うことはあるが、ただ必死に白球を追う選手たちの姿はまぶしかった。最後の夏を終え、涙を流しながら選手たちが後輩に旗や千羽鶴を渡し、自分たちの夢を託す姿を目の当たりにして、不覚ながら涙腺が緩んだ。
そうこうしているうちに半年が経ち、今はスポーツの担当として高校スポーツや島根スサノオマジックなどプロスポーツの試合の取材を担当している。
記者としては、はなはだ未熟だが、身の回りのことを見聞きして伝えることを通じ、自分の考えも大きく変わることにやりがいを感じている。2023年は今年のリベンジという気持ちで、さらに成長して、良い記事を書けるように精進したい。
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22歳。東京都八王子市出身。入社の理由は、一つの地域の歴史をつづる地方新聞に憧れがあったから。地元紙のない地域から来た自分にとって、地域の記録が残ることに豊かさと、温かさを感じた。
ドキドキの取材初日、「最下位」に沈んだマラソン 新聞記者になって~本社新人記者、2022年を振り返る<下>(Sデジオリジナル記事)