国内最大の和牛品評会・第12回全国和牛能力共進会(全共)で島根の牛が躍進した。今回の島根の牛の躍進には、しまね和牛の発展に尽力し続けた男性獣医師がいた。男性は全共の3カ月前に他界。全共では、携わった牛たちが見事に評価され、関係者は「先生がしてきた努力が花開いた」と感謝している。(Sデジ編集部・吉野仁士)
全共は5年に1度開かれ「和牛のオリンピック」と言われる。10月、鹿児島県で開かれた全共で、島根県代表は繁殖雌牛4頭の生体と肥育牛3頭の枝肉を合わせて評価する総合評価群の6区で、3位相当の優等賞3席となった。枝肉に限ると1位で、うち1頭は特別賞を受賞した。別の枝肉が審査される7、8区でも2位に当たる同2席となる快挙だった。

獣医師の男性は雲南市大東町新庄の安部茂樹さん。畜産物生産の技術開発に取り組む島根県畜産試験場(現・県畜産技術センター)で26年間勤め、主に牛の受精卵移植技術の向上に努めた。病気のため、全共の3カ月前に70歳で亡くなった。
▼受精卵移植数、受胎率の向上に尽力
県畜産技術センター(出雲市古志町)によると、安部さんは鳥取大大学院で獣医学を修了。1981年に島根県庁に入庁し、87年に畜産試験場の所属となった。主任研究員や繁殖技術科長などを歴任し、優秀畜産技術者として畜産技術協会に表彰されたこともある。2013年に退職した後は、雲南市で安部獣医科病院を開業し、牛の採卵や受精に携わり続けた。

安部さんの後輩として長年、研究を共にした長谷川清寿・県畜産技術センター所長は「技術もさることながら、とにかく思いが強い人だった」と話した。
長谷川所長によると、牛が子どもを産むのは通常、1年に1頭で、一生に計10頭程度。良質な牛が産まれる確率を上げるためには、牛にホルモン注射をして排卵を促進し、できるだけ多くの受精卵を採取しなければならない。さらに、取り出した受精卵を別の牛の子宮に移植して妊娠、出産させることで、能力の高い両親の遺伝子を受け継ぐ牛を短期間に多く産み出すことが可能になる。
受精卵は取り出す際や別の牛に移植する際に環境の変化で変質し、うまく妊娠しない可能性がある。安部さんは受精卵の取り出しや移植の技術探究に熱心だった。輸送時の温度による受精卵の変化の違いや、妊娠確率を高める技術について、論文にまとめてたびたび発表してきた。
長谷川所長によると今回の全共で、肉牛の部に出品された牛7頭のうち5頭が、安部さんが受精卵の採取や移植、またはその両方で携わった牛だという。このうちの1頭が、枝肉として全国1位になった。島根県は1987年の第5回大会で、出雲市の牛「富桜」が枝肉で最高賞の内閣総理大臣賞を県として初めて獲得したが、そこから30年以上、不遇の時代が続いていた。

長谷川所長は今回の躍進について「安部先生が受精卵移植の現場普及に注力し、利点が畜産農家に広く知られたからに他ならない」と熱弁した。安部さんは20年以上前から島根の和牛の発展を見据え、能力の高い牛を産み出すための技術探求に力を注いで来た。県内牛の受精卵の移植頭数は、安部さんが移植の現場普及に努めた2002年頃から急激に伸び始め、06年には過去最多の1800頭に達した。受胎(妊娠)率は平成初期から長らく30%前後だったが、現在は約50%に伸びた。長谷川所長は「安部先生がしてきた研究や技術者育成、丹念な技術の現場活用が、(全共での)躍進の一翼を担っていることは間違いない」と断言した。
安部さんは牛の受精卵移植のために文字通り東奔西走した。県内最東端の安来市で移植をした同じ日に、最西端の島根県津和野町でも移植をしたという逸話が残っているという。安部さんの牛にかける情熱が伝わってくる。

▼仕事熱心な一方、家族には
安部さんは牛に携わる仕事に熱心に取り組む一方で、仕事の話はほとんど身内には話さない性格だったそうだ。
妹の前島佳津子さん(64)=出雲市荒茅町=は、葬儀の時に全共の関係者から兄の話を初めて聞いて驚いたという。一人でも多くの人に知ってもらおうと、山陰中央新報の読者投稿欄に手紙を寄せた。兄の安部さんが関わった牛が表彰された喜びや、全共の結果を見ることがかなわなかった兄の墓前で、島根の牛の躍進ぶりを報告したことなどを記した内容だった。前島さんは「島根の牛のためにこんなに頑張っていたのだと分かりうれしかった」と笑顔を見せた。
前島さんによると、安部さんの人柄は「穏やかでしっかりしていた半面、仕事に関しては頑固で厳しいところもあった」という。遅くまで仕事をしたり、日曜でも仕事に出向いたりと仕事一筋だったと聞くが、それでも、たまに前島さんが家を訪ねると温かく出迎えてくれたという。葬儀には多くの関係者が訪れ、いまだに安部さんの墓参りに来る人もおり、功績の大きさと人望の厚さを実感しているという。
前島さんは「兄が長年取り組んできたことがこうして評価されて誇らしい。今後も、兄が生涯かけて研究した島根の牛がますます知られてほしい」と願った。

今回の鹿児島全共の躍進は、安部さんや畜産農家をはじめ、さまざまな関係者の努力があって成し遂げられた。次回の全共がある27年も、安部さんの熱い思いが引き継がれ、島根の牛がさらに高く評価されることを期待したい。