桑原正好代表(左)の進行で、体験発表する遺族5人=安来市飯島町、アルテピア
桑原正好代表(左)の進行で、体験発表する遺族5人=安来市飯島町、アルテピア

 第13回しまね自死遺族フォーラムが4日、安来市飯島町の市総合文化ホール・アルテピアであり、遺族5人が体験発表した。「今でも後悔、自責の念が消えない」などと長く苦しみ続ける心情を涙ながらに語った。フォーラムは自助グループ「しまね分かち合いの会・虹」(桑原正好代表)が主催した。
 遺族5人の体験発表の要旨は次の通り。

 【弟を亡くした男性】
 2006年12月、弟が24歳で亡くなった。自死を思わせるメールが届いたが、仕事中の私が見たのは30分後だった。弟は友人に名義を貸して借金返済に追われていた。

 弟は幼い頃から誰にでもあいさつする優しい人柄。なのに、自分の悩みは言えない、そんな人間だった。後になって気づけば「あの時に」と考えてしまう。なぜ弟の表情を注意して見てやれなかったか、今でも後悔、自責の念が消えない。

 周囲の根も葉もない話、偏見、語ることを許されない社会。たくさんのことで苦しい思いをした。

 【長男を亡くした女性】
 2012年5月、長男が亡くなった。亡くなる前、大事に飼っていた魚を知人に預けていた。実家にも来た。最後に顔を見に来たのだとは思わず、優しい言葉の一つもかけてやれなかった。あの時にどうかしていたら長男の決意は変わっていたかもしれないのに。

 なかなか就職が決まらず勤めてもすぐにやめる長男に「頑張れ」「しっかりしてよ」と言っていた。もう十分に頑張っていたのに。「誰か殺してくれないかな」とつぶやいたこともあった。なぜ、もっと真剣に聞いてやれなかったか。

 私と同じような思いをする人がなくなる世の中になってほしい。

 【夫を亡くした女性】
 2005年5月、夫が51歳で亡くなった。とても優しい夫。自営業がうまくいかず、借金が膨らんだ。酒に逃げることが多くなり、経営に行き詰まって失踪し数日後、見つかった。

 なぜ、何も言わなかったのか、悔しくて情けなくてたまらなかった。半年間は頭が真っ白だった。父を失った息子や娘に寄り添うこともできず、ただ自分を責めていた。近所のスーパーに買い物に行った時に出会った知人が申し訳なさそうにする姿がたまらず、その後は遅い時間に遠いスーパーに行くようになった。

 夫は本当は死にたくなかったはず。子どもの成長が見たかったはず。自分が逝くことで借金から家族を守ってくれたのだと思う。

 今ではいつも一緒にいるから大丈夫だと思えるようになったが、現実にはいなくて、無性に会いたくなる時がある。命を大切にしてほしい。自分だけの命ではないと考えてほしい。

 【息子を亡くした女性】
 2011年5月、息子が23歳で亡くなった。亡くなる前に会った時、息子は将来の夢や仕事への意欲を語っていた。やっと社会人として一歩を踏み出したかと思っていた。

 息子はその後、インターネットのゲームサイトで知り合った人の悩み事の相談を受けるようになった。あまりに頻繁なので距離を置こうとした時、自死をほのめかすメールや息子を責めるメールが来て、一晩で追い込まれた。その人と知り合って9日目だった。

 ネットは全く知らない人と出会える半面、どんな人と知り合うか分からない怖さがある。この人と知り合わなければ亡くならなかったと思う。

 【母を亡くした男性】
 2017年6月、母が亡くなった。76歳だった。体調不良で6日前に自死未遂を図っていた。その母を1人にしていたことを悔やんでいる。何度も電話をかけてくるし、会話も普通だったので大丈夫だろうと判断していた。

 その後、介護の手続きのため実家を訪ねる途中、何度も電話をかけてきた。私は実家に着くと「なんで何度も電話するのか。いいかげんにしてくれ」と、そういうことを言って、そのまま帰ってしまった。

 自死は誰にも起きうるが、周りがSOSを察知するのは実際には亡くなった後。あれがSOSだったのだと気づかされる。今でも自責の念、後悔を感じている。もう一度帰れるなら6年前のあの日に帰りたい。