「ウクライナが学ぶべき教訓は非常に重い。ロシアとの戦争になってしまったのだから。私はロシアが主敵になると予測していたのだが…」

 ユーリー・コステンコ(71)。ウクライナ西部ビンニツァで生まれ、1990年から同国最高会議(議会)の議員を長年務めた。91年のウクライナ独立直後には、旧ソ連が残した約5千発の核兵器の扱いをロシアと協議する代表団も率いた。

 それから30年後の今、核...