スニーカーのアルバム「想い出のスニーカー」
スニーカーのアルバム「想い出のスニーカー」

 今、スニーカーがブームという。寄せては返す波のように流行は繰り返す。40年余り前もはやっていたのだろう。チューリップの「虹とスニーカーの頃」(1979年)、近藤真彦の「スニーカーぶる~す」(80年)のヒットが生まれた。AOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)のバラード「想い出のスニーカー」もその頃(81年)の曲である。

 ただ、前の2曲と違って、歌詞にスニーカーは出てこない。原題はMore Than Just The Two Of Us。直訳すれば「単なる2人以上の私たち」。愛し合う私たちはただの2人ではないといった意味合いか。履物の歌ではなく、ラブソングである。

 歌うのが米国のバンド、スニーカーだからついた邦題であることは明白。アルバムジャケットのスニーカー工房らしき絵が郷愁を誘い、アルバム、シングルとも「想い出のスニーカー」で行こうとなったのではないか。チューリップに置き換えれば、あの美しいバラード「青春の影」に、「ビューティフル・チューリップ」と英語タイトルをつけて米国で売るようなもの。

 テキトーな邦題だなあと思いつつ、趣を感じてしまうのは、ひとえに曲の素晴らしさによる。中学時代に聴いた時の感動がよみがえる。「色あせぬ名曲」と呼べる一曲である。

アルバム「想い出のスニーカー」の裏ジャケット

 歌っているスニーカーはこの曲で世に出たロサンゼルスの6人組。デビューアルバム「想い出のスニーカー」(原題Sneaker)は、新人バンドとは思えないくらい洗練されたサウンドを響かせる。タイトル曲はもちろん、印象に残るメロディーを持つ曲ばかりで、じっくりと聴かせる好アルバム。AORの教科書のような作品だ。

 彼らの音楽性はスティーリー・ダン(SD)の影響を受けているようだ。バンド名はSDの「Bad Sneakers」という曲から取られたといい、アルバムの1曲目「ドント・レット・ミー・イン」はSDのウォルター・ベッカーとドナルド・フェイゲンの曲のカバー。アルバムプロデューサーはSDの結成時のメンバーでその後ドゥービー・ブラザーズに参加したジェフ・バクスターが務めた。

 いいバンドだったと改めて思うが、デビュー曲「想い出のスニーカー」は米ビルボードシングルチャート34位、アルバムは149位に終わり、決して大きなヒットではなかった。その後、1枚のアルバムを出して音楽シーンから消えた。それでもデビュー曲は日本のAORファンに愛される。記録より記憶に残るスニーカー。「想い出のスニーカー」ということか。(洋)
 

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