明治期に竹島(島根県隠岐の島町)でアシカ猟に携わった猟師が、操業中に亡くなった可能性があることを、島根大法文学部の舩杉力修准教授(50)=歴史地理学=が、隠岐の島町西郷の共同墓地に無縁仏として残っていた墓石を分析して明らかにした。猟の具体像がうかがえる資料とみている。
墓石には「竹嶋漁猟合資會社 明治四十年八月建立之」「森田又市 明治四十年旧二月九日 齢三十四才」と刻まれていた。
当時、アシカ猟を行った竹島漁猟合資会社の従業員とみられる森田又市が1907(明治40)年に亡くなり、会社が墓を建立したと考えられるという。
竹島を研究する舩杉准教授が以前見つかっていた墓石を詳しく調査。通常は遺族が建てる墓を会社が建てた点に着目した。
又市が働き盛りの年齢で当時は猟の最盛期だったことなどから「業務中に不慮の事故で亡くなった可能性がある」と推察。「当時のアシカ猟がいかに危険を伴うものだったかが分かる」とした。
墓石は、無縁仏として既に魂抜きがされており、又市の親族がいないことを町が確認したという。町は21日から同町久見の久見竹島歴史館で墓石を展示する。 (吉野仁士)