小渕内閣で官房長官を務めた元自民党参院議員会長の青木幹雄氏(出雲市大社町出身)が11日、89歳で死去した。与野党に幅広い人脈を張り巡らせ「参院のドン」として君臨し、強い影響力を誇った。その歩みと過渡期に入った島根県政界の現状を見る。
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青木氏の訃報が地元に伝わった12日、松江市内中原町にある長男・一彦参院議員(鳥取・島根合区選挙区)事務所前の記帳台に来訪者が次々と訪れた。
数珠を手にした元松江市議の比良幸男氏は古くから親交があり「予算要望を持ち込めば『県を通じ市に行くようにする』と応じていただいた。実力者なので、できないことの方が少ない人だった」と述懐した。
県議からたたき上げで参院議員会長まで上り詰めた青木氏は古くから竹下登元首相(故人)と地元との橋渡し役だった。県政課題や要望をまとめ、定期的に上京。当時、登氏の秘書として様子を目にした大屋俊弘県議は「竹下派の立ち上げも(登氏は)青木さんと小渕恵三さんには全て相談していた」と振り返る。
登氏との「近さ」が存在感を高めた。参院議員として国政に進出してからは「青木氏の言葉=登氏の意向」として関係者に受け止められ、...