戦前、ニホンアシカの一大繁殖地だった日本海の竹島(島根県隠岐の島町)に2度上陸し、生息の様子を取材した新聞記者がいた。後の島根新聞社(現山陰中央新報社)編集局長、吉岡大蔵(1914~69年)。紙面を飾った当時の連載が今、アシカ研究者に見直され、絶滅したニホンアシカの生態に詳しい井上貴央・鳥取大名誉教授(69)が9月、米子市である第92回日本動物学会オンライン米子大会で紹介する。 (山根行雄)
吉岡は松陽新報(島根新聞の前身)の若手記者だった1935(昭和10)年7月11日、サバ漁の試験操業のため竹島、鬱陵(うつりょう)島付近に向かう島根県水産試験場の新造船「島根丸」(鋼製93トン)に乗船。美保関港(松江市)を出て、恵曇港(同)に戻るまで4昼夜の行程をルポした。
『日本海猟奇行』と題した連載は同年7月30日付から9回掲載。うち4~8回はアシカ漁が盛んだった竹島の記述で、群れで餌の魚を追う姿や海食洞をねぐらにする幼獣・成獣の様子などを克明に記している。
アシカ研究者は、戦前戦後を通した学術論争の末に独立種とする説が定着し、70年代を最後に途絶えたニホンアシカ特有の生態が、読み取れる点に注目。学術研究に役立つとする井上名誉教授は、こう評価する。
「同じアシカ科でも波の浸食で形成される洞窟をすみかにするのはニホンアシカの特徴。かつては砂浜にいるカリフォルニアアシカの亜種とされたが、生態が明らかに違う。独立種という定説を裏付けるもの」
連載記事では、頭頂部が隆起し、体毛が白化した体長2メートルを優に超す雄が30頭の雌を従え、夏場の繁殖に備える行動も記述。かつて無人島の竹島を繁殖地に数万頭もいたとされるアシカ属最大種の実像に迫る。
連載から6年後の41(昭和16)年夏、吉岡は大阪毎日新聞(現毎日新聞)の特派員として再び竹島へ上陸。海藻と魚介類が無尽蔵の島を漁場に、生計を立てていた漁師や海女の証言を交え、同紙島根版に『リヤンコ島の探検記』(同年7月11日付)としてアシカ漁の様子を詳しく載せた。
オンライン米子大会は9月2~4日、米子市末広町の米子コンベンションセンターである。公開講演でニホンアシカを取り上げる井上名誉教授は「文献資料を読み解くと竹島のアシカ漁は41年を最後に途絶えている。その意味でも吉岡さんが手掛けた一連の記事は、絶滅したニホンアシカの復元につながる」と話す。
ニホンアシカ 北海道や本州、四国、九州などに広く分布し、アシカ漁が行われていた竹島は一大繁殖地の一つ。成獣の雄は平均体長240センチ、雌は推定180センチ。カリフォルニアアシカより一回り大きく、アシカ属最大種。北海道、鳥取県、島根県のレッドデータブックは「絶滅」のカテゴリーに入れている。
よしおか・だいぞう 島根県立松江中学校卒業後に新聞業界に入り、山陰新聞、松陽新報、大阪毎日新聞、従軍記者などを経て戦後に島根新聞社に入り、取締役編集局長などを歴任。退職後は松江ペンクラブを創設するなど文化、民芸分野で活躍した。著書に出雲路の旅情「味覚散歩」がある。松江市出身。