島根県内は梅雨前線の停滞により、8日から激しい豪雨に見舞われた。大きな被害を受けた出雲市大社町在住の社員が豪雨の様子を伝える。(山陰経済ウイークリーデスク・吉川健治)
「今までにないほど水が流れ出た」
「神迎えの浜」として知られる出雲市大社町杵築北の稲佐の浜の前を通る海岸道路が濁流で川と化した8日の豪雨災害。氾濫した稲佐川は2年前のほぼ同じ時季にも水を出したが、今回はレベルが違った。

現場から直線距離で約100メートルの自宅に2年前の春にUターンしてから既に2度目。幸いにも自宅に目立った被害はなかったものの、自然の猛威が年々ひどくなっているのをひしひしと感じた。
8日朝、激しい雨音で午前6時ごろに目が覚めた。未明に大雨と洪水の警報が市内に出ていたこともあり、心配しながら外を眺める。勢いは一向に収まらない。同7時半ごろ、2階から見下ろすと、家の近くの水路が激流となっている。

「2年前と同じだ」。急いで家を出ると、裏の車庫の前を濁った水が流れている。「稲佐川はどうなっているか」。すぐに向かった。
すると、幅数メートルの川から水が側道に流れ出てはいたが、路面を覆い尽くすほどではなかった。近所の80代の独居女性から「朝3時ごろに雨の音で目が覚めてから一睡もできなかった」と話しかけられ、「避難所が開設されていますよ」と返すとその場を後にした。今思うと切迫感に欠けていた。
町内会の役員の一人でもあり、状況を記録しておこうと小型のデジタルカメラを持って再び向かった同8時すぎ、様相は激変。水を海に流す地下排水溝に流木がたまり始めたようで、あふれる勢いが違っていた。一面が茶色くなった側道を恐る恐る歩き、ますますひどくなりそうな気配を感じた。

近所の人から川の直近の2世帯が無事に避難していたことを聞き、安心したのもつかの間。出雲大社と日御碕を結ぶ片側一車線の県道まで水があふれ出し、同8時半ごろには水位が膝ぐらいまで上がっていた。
「これは仕事モードに切り替えないといけないな」。自宅に帰って一眼レフカメラを取り出し、長靴を履いて現場に引き返すと、タイヤが水没し、ブレーキランプをともしたタクシーが激しい雨に打たれながら立ち往生している。雨をぬぐいながらシャッターを切った。

しばらく撮影を続けていると、急にシャッターが切れなくなった。「雨でやられたかもしれない」。だが、目の前の水かさはさらに増し、全面通行止めの看板も設置され始めた。まだまだ取材の必要がある。カメラを社有のスマートフォンに持ち替え、撮影を続けた。県道は南へ約200メートルにわたって冠水。上流からの木や枝、金属製の灯油缶のようなものが流れるさまは、動画モードを使った。
神迎えの浜のシンボルとなっている弁天島前の三差路入り口は全面通行止めとなり、係員が県外ナンバーなど車両を誘導。稲佐川の氾濫場所で始まった重機の作業なども収め、周りを見渡すと、顔見知りの近所の人たちが水に漬かった県道を心配そうに眺めていた。

長年ここで暮らす70代の男性と「ここまでひどいのは初めてだ」と会話を交わし、一住民に戻ったのは同10時過ぎ。空はまだ、にび色のままだった。
幸い、地域で人的被害や大きな建物被害はなかったが、豪雨災害は確実に頻度を増し、猛威も強まる一方だ。わが身の経験から、あらためてそう感じた。同じ市内で降り始めからの雨量が当日夜までに170ミリを超える地点があるなど、Uターンした故郷は「水害頻発地域」に変わっていた。そうであれば、自身の意識も変えなければならない。