1955年ごろの長島愛生園を再現したジオラマを見ながら解説を聞く参加者=岡山県瀬戸内市、長島愛生園歴史館
1955年ごろの長島愛生園を再現したジオラマを見ながら解説を聞く参加者=岡山県瀬戸内市、長島愛生園歴史館

 国の誤った隔離政策が偏見や差別につながったハンセン病の歴史を学ぼうと8日、島根県内の37人が国立療養所・長島愛生園(岡山県瀬戸内市)を訪れた。歴史館や納骨堂などを回り、社会から断絶された人々の苦しみに思いをはせた。(小引久実)

 長島愛生園は1930年、国内初の国立療養所として瀬戸内海に浮かぶ長島に建てられ、多い時には2千人を超えるハンセン病患者が収容された。

 歴史館訪問を前に参加者は本土と長島をつなぐ邑久長島大橋を歩いた。長さ約30メートルと短いが88年に開通するまでは、入所者は自由な行き来を遮られていた。大橋は「人間回復の橋」と呼ばれ、参加者は海に隔てられたころを想像しながら渡った。

 歴史館では釜井大資(だいすけ)解説員(46)が、展示フロアの中心にある入所者手作りのジオラマを示し、55年ごろの様子を説明。療養所にもかかわらず不当に安い賃金で作業をさせられたという負の歴史を語った。

 入所者が収容される際に船から下りて渡った桟橋、愛生園での生活を始める前に手続きした「回春寮」、脱走者を収監した監房も見学。回春寮では脱走防止のため現金を没収され、消毒液で満たした風呂に入れられたという。殺伐とした光景に参加者は言葉を失い沈黙した。

 見学の最後に足を運んだのは島の小高い丘の上にある納骨堂。3700柱の遺骨が収まる。火葬後に骨(こつ)壺(つぼ)を引き取りに来た遺族が、海に投げ捨てることが頻発したため建てられた。

 釜井解説員は偏見や差別がなければこのようなことは起こらなかったと強調。「ここは元患者への祈りの場であると同時に、社会の誓いの場であるべきだ」と訴えた。参加者は納骨堂に花を手向け、同じ過ちを繰り返さないと誓った。

 夏休みに人権について学ぼうと参加した開星高校1年の三原克心(よしと)さん(16)は、「ここでどのように暮らしていたのかが分かり悲しくなった。こんな差別や偏見はなくなってほしい」と話した。

 訪問事業は島根県が主催した。これまで県内の医療・教育関係者や県職員が参加し、今回は新型コロナウイルス禍による移動制限がなくなった機会を捉え、初めて参加者を一般公募した。