石見銀山の採掘時に女性たちの労働歌となった「石見銀山捲(ま)き上げ節」で、歌や踊りの映像、音源の収録が進められている。島根県立大教授が音頭を取り、石見銀山遺跡周辺の大田市民らによる踊りや、踊りのレッスンを動画撮影。継承へ思いを強める。 (古瀬弘治)
捲き上げ節は作業効率を上げるため労働中に歌われた坑内唄の一つで、1887年以降に歌われるようになったという。女性4人程度で鉱石が入った籠をロープで地下300メートルから引き上げる場面を表現する。
「まいた、またまいたのアラヨイショ」「三十五番のよ、さもとの水はよ」などと歌い、「スッチョイ、スッチョイ」というはやし言葉は滑車ロープのきしむ音を表現。重労働に当たる女性の姿が伝わる。石見銀山が1946年に国史跡指定された際に踊りも考案され、日本フォークダンス連盟の「ふる里の民踊」に島根県内で初めて認定された。
収録は、島根県フォークダンス連盟会員で県立大短期大学部長の梶谷朱美教授(62)=体育教育学=が思い立ち、地元住民が協力した。7月下旬に大田市大森町の町並み交流センターに50~90代の15人が集まり踊ってもらった。
参加した近くの中川英子さん(85)によると、以前は運動会などで踊りを披露する機会はあったが徐々に減り、踊り手も少なくなっていたという。「どうにか残した方がいいと思っていた中で、声がかかりうれしい」と喜んだ。
9月9日は出雲市内で、連盟の多久和淑子さん(79)が踊り方を教える動画を撮影。「カンテラを下げるつもりで」「ロープを巻き上げるように」などと指導し、梶谷教授が踊った。
梶谷教授は「今回、後世に伝える取り組みが進んで良かった。子どもや働く世代にも伝わりやすいように仕上げたい」と話す。
9月中にDVDの完成を予定し、ユーチューブでも公開する。10月15日に大田市総合体育館で開く「県フォークダンス連盟55周年記念大会」で披露する。