江戸後期の祝い膳を再現した弁当を撮影する参加者=島根県隠岐の島町下西、億岐家住宅
江戸後期の祝い膳を再現した弁当を撮影する参加者=島根県隠岐の島町下西、億岐家住宅

 国指定重要文化財の玉若酢命神社(島根県隠岐の島町下西)と億岐家住宅でこのほど、江戸時代の祝い膳を食べる集いが開かれた。参加した40人が江戸後期の遷宮で出されたとされる食事を味わったほか、歴史講話や宝物殿見学を通じ、隠岐の文化財について理解を深めた。

 町民有志でつくる「古代におもいを馳(は)せる会」(重栖隆快会長)が主催した。1853年に本殿の屋根吹き替えが完成した際、客人に出された夕飯の献立を古文書から読み解き、町内の仕出し業者が再現した。

 豆腐あんかけや3種類の漬物、ゴボウやフキの煮物といった昔ながらのおかずを用意。「御せこ飯」は具材がはっきり分からないため、サバ飯で代用した。

 歴史講話で町教育委員の常角敏さん(65)は、光格天皇(1771~1840年)が御所遷宮の行列の際に、玉若酢命神社の隠岐国駅鈴(えきれい)(奈良時代の身分証明)を持ち出した史実を解説。社家の億岐幸生が、京都の儒学者西依(にしより)成斎(せいさい)に師事したのがきっかけで、天皇が駅鈴の存在を知ったとした。
(鎌田剛)