イスラエル軍とイスラム組織ハマスとの戦闘が続くパレスチナ・ガザ地区をテーマにしたドキュメンタリー映画「ガザ 素顔の日常」の上映会が出雲市内であった。終了後、映画を配給するユナイテッドピープル(福岡県)の関根健次代表取締役がオンラインでガザの現状について「地上の地獄」と語り、来場した20人に「命を救うため声をあげてほしい」と求めた。関根氏の言葉を紹介する。
ガザには2度行ったことがある。25年前に大学の卒業旅行でエルサレムを訪れた際、福岡出身のガザ地区で医療ボランティアをしている看護師の女性と出会い、現状を見て日本に帰って伝えてほしいと言われた。

当時(1999年1月)は日本人なら、誰でもパスポートを出せば観光客として入れた。映画に出てくるひょうきんなタクシーの運転手がいたり、カフェの店主さんがいたり、表情が明るく、力強く生きている人々の姿が印象的だった。紛争地でも小さな幸せを見つけようと努力していた。優しい人たちだった。
映画は2014年、18年の戦争のシーンも描かれているが、ガザ地区では数年に一度は戦争が起きてしまう。ガザ地区の現実だ。普通に暮らしていても突然、日常が壊される。ウクライナ侵攻でそういう現実を見たと思うが、ガザ地区では起き続けている。映画の最後でカルマという女性が「次の戦争がいつ来るか分からない」と言っていたように、5年後に起きてしまった。

今回の戦闘が始まった後、カルマとは連絡を取りたくてフェスブックでやりとりしていたが、既読にならなかった。あるとき、映画を見た日本人から、カルマがエジプトに逃げたという話が入った。
もう1人、映画の撮影を担当したユーセフという若者がいた。彼は北部のジャバリヤ難民キャンプの出身だ。今回の戦争で真っ先にターゲットになり、まだ攻撃が続いている。完全に外の世界と遮断され、極めて危険なエリアだ。ユーセフは映像作家、ジャーナリストとして成功し、つい最近2軒目の家を両親のそばにつくった。
今回の戦争で間もなく二つとも空爆された。奥さんと子ども2人や他の家族と幸い南に逃げることができ、ハンユニスにいる。状況としては、この戦争が1週間休戦になったが、ハンユニスは完全包囲されている。

ユーセフや家族は命の危険にある。10月下旬にユーセフにオンラインでインタビューを行うことができた。彼はインタビューに遅れてきたが、理由を問うと「パンを買うのに5時間かかった」と言う。既に物資は全然ない。今はさらに極めて悪化し、飢餓が始まっている。もう生きるか死ぬかという状況で、私たちに「大丈夫かどうか、聞かないでくれ」と言っていた。いつ死んでもおかしくない。食べ物がほしい以前に爆弾を止めてほしいという悲痛なメッセージがあった。
ガザでは既に7千人の子どもたちが命を落としている。ガザの人たちはこう言う。「あと、どのくらいの子どもが死んだら、皆さん外国の人は真剣に行動してくれるのか。戦争を止めてくれるのか」。映画の中でガザ地区を「天井のない監獄」と呼ばれてきたが、今回の戦争で経済封鎖から完全封鎖に切り替わった。

これまでの戦争と全く異なるのは完全封鎖。これでは水、医薬品、燃料、食料のすべて止まる。何もかもが足りない状況。まず水がない。水がないことで健康にリスクのある汚水を飲まなければいけない。燃料が入らないので、水の浄化システムが動かない。
そして電気が動かない。病院への電力供給が止まっている。よくドクターが懐中電灯で手術をしている。人工呼吸器を着けている未熟児の呼吸が止まってしまう。医薬品がないため、外科医の医師が麻酔薬無しで外科手術をしている。妊婦も麻酔薬無しで帝王切開をしている。手術の後も痛み止めがない。病室も全くなく廊下で手術をしている。これでは、ガザ地区は「天井のない監獄」ではなく、「地上の地獄」になってしまっている。

ガザでは多くの人が通信手段を持っていない。家族や友人の安否が確認できない状況だ。空爆を受けながら、なぜ空爆を受けなきゃいけないのか、死ななければならないのか分からない。夜も昼も真っ暗で分からない。ごく一部のジャーナリストが太陽光を使って伝えようとしているが、それをキャッチした私たちはガザの悲鳴を聞いて何とかしないといけない。命を救わないといけない。
12月6日、国連機関を含む27団体がガザの窮状を訴える声明を出した。敵対行為の即時停止、継続的な援助の妨げない提供を求めると言っており、ガザの人道状況は壊滅的であり、私たちが目撃した中で最悪の部類に入るとした。
大多数の市民が人道保護を必要としている。国連職員だけで100人、学校の先生も170人が命を落としている。230万人の人口のうち、180万人以上が国内避難民だ。人口の8割が住む場所を追われている。

完全閉鎖で安全な水が飲めない状況で、世界保健機関(WHO)が11月、「ガザ地区ではもはや、戦闘・ミサイルよりも、感染症などで命を落とす人が多くなるだろう」と予測している。水も食料もなく、栄養失調に直面している。検問所が閉じられたままで、外に逃げられない状況で、空爆があり、人道上極めて深刻な危機だ。
では、遠く離れたわれわれができることは何か。まずは命を救うために声をあげることだ。状況を少しでも知ったら、SNSや近所に「ガザのこと知ってる?」「こうなっているらしいよ」と伝えていく効果は大きいと思う。
何より国民的な世論をつくっていくことだ。この戦争はまずいじゃないか、止めた方がいいのではないのか、人道物資が必要ではないか、共通認識や社会の雰囲気をつくるのが極めて大事だ。直接、SNSを通じて映画を見て感じたことを発信してほしい。もし近くに国会議員の方がいれば、その人にも伝えてほしい。議員は有権者の声を政治に反映させるのが仕事だ。署名活動もある。映画ホームページでも紹介している。

もう一つは寄付も大事。ガザ地区では学校、病院、水道、農場、港などありとあらゆるものが破壊されている。戦争は終わるが、その後、とてつもないお金が復興に必要になる。国連や国による支援もあると思うが、民間でもNGOなどを通して寄付をしてほしい。国内には直接的に支援している団体もある。
何より関心を持ち続けていくことが大事だ。人のうわさも75日と言うが、時がたち日本中からガザ問題の関心が急速に薄れている。しかし、翻ってガザの現状はひどくなっている。待ったなし、即刻戦争を止めなければという状況だ。関心を持ち続けてほしい。
<質疑応答>
会場 映画では、ガザ地区の人がひどい状況にかかわらず「祖国」という言葉を口にしていた。その思いは?
関根 1948年のイスラエル建国以降、パレスチナの多くの人が難民になり、祖国を追われた。もともとガザ地区に住んでいた人もいるし、難民として逃れた人もいる。ほとんどの人が自分の家の鍵を持ち、いつか家に帰ろうと思い、ガザにたどり着いた。そういう祖父母を見てきた人たちは、祖国や古里への思いを抱きながら育っている。
しかし、その土地はイスラエルで行くことができない。その中で攻撃も受け、絶望する状況だが、祖国愛が、祖国が失われたからこそあるのではないか。1999年に訪れた際、ガザ地区の医師で、高いスキルを持ち、いつでも移民もできるのにガザにとどまる理由を聞いた。すると医師は「自分たちが出て行けば、同胞をどう治療すればいいのか。同胞を守るためにここにいる」と言っていた。おそらく今も居続けているのではないか。

会場 映画をどう伝えていけばいいのか。
関根 ぜひ直接連絡を取ってもらってもいいし、専用ウェブサイトもある。ぜひ関心を持っている方がいれば、声をかけてほしい。
自分がすごく大切にしているのは人道主義。例えば交通事故で、目の前で傷ついている人がいたら、あなたは何人ですか、宗教は何ですか、とは聞かない。止血をして、今すぐ救急車を呼ぶと思う。ガザ地区以前に、地球には私たちと違う環境で苦しんでいる人がいている。われわれがたまたま同じ地球に生きている人間として、やはり何かできるのではないかと、映画を通じて感じてもらい、自分も訴えたい。
会場 映画の中でも、ガザ地区の住民が「暴力で解決できない」という声があった。ガザ地区の住民の考え方は?
関根 そもそも今、ガザの人が欧米や日本に対してどう思っているのか聞いてしまったが「そんな状況では一切ない。生きるのに精いっぱいだ」という答えが返ってきた。映画の中で「ハマスさえなければ」という声があった。ガザ地区=ハマスではない。おじいさんが「死んだ方がましだ」と言っていたが、今これほど悪化してしまうと、より絶望している。とてつもない悲しみ、新しい憎しみが生まれてしまっている。
今回の攻撃は、ハマス殲滅(せんめつ)の下、多くの人を殺りくしている。戦争の出発は10月7日ではない。それ以前からずっと続くイスラエルの占領政策、入植問題がある。ヨルダン川西岸には、イスラエルの右派が「神から与えられた場所」と言い、何十万人が移り住んでいる。違法入植が行われている。入植者からの暴力、殺人、嫌がらせ、鬱憤(うっぷん)がたまっている。西岸でも多くの死者が出ている。入植者たちに自衛という名目でライフル銃が配られているという状況もある。今回の戦争以前からそういうことが積み重なっている。