山陰新幹線の実現に向けた決起大会に出席した(左から)石破茂氏、細田博之氏、竹下亘氏ら=2018年2月、松江市内
山陰新幹線の実現に向けた決起大会に出席した(左から)石破茂氏、細田博之氏、竹下亘氏ら=2018年2月、松江市内

 正月くらい晴れやかな気分で迎えたいのに、やり切れなさを抱える人も多いのではないか。

 東京地検特捜部の捜査が越年した自民党派閥の政治資金パーティーを巡る事件だ。最大派閥の安倍派ではパーティー券の販売ノルマ超過分を議員側に還流し、政治資金収支報告書に記載せず裏金にしていたとされる。

 二階派にも同様に捜査のメスが入った。国民の全ての収入を行政側が把握し、所得隠しを防ぐ狙いもあるマイナンバーカードの普及を強引に進める半面、国会議員が派閥単位で裏金づくりにいそしんでいたとすれば、到底許し難い背信行為だ。

 「人間が3人集まれば派閥ができる」といわれる。2対1に分かれるからである。自民党の派閥が問題視されるのは、「55年体制」と呼ばれた自民党長期政権の下、首相に直結する総裁の座を各派閥の領袖(りょうしゅう)が争い、所属議員の数を競って政治資金集めに走ったためだ。

 その挙げ句、各派閥に事実上の「賄賂」が配られたリクルート事件など政治腐敗の問題が相次いだ。偶然だろうが、リクルート事件が発覚した1988年も今年と同じ辰(たつ)年だった。36年たつが腐敗の根は深いようだ。

 自民党には2021年末まで七つの派閥あり、そのうち三つで山陰両県選出の衆院議員が領袖を務めていた。竹下亘(島根2区)、細田博之(島根1区)、石破茂(鳥取1区)の3氏。

 18年4月から平成研究会(竹下派)を率いた竹下氏は、闘病のため21年7月に政界引退を表明し、9月に死去した。

 当時から最大派閥だった清和政策研究会(細田派)を14年12月から率いた細田氏は、衆院議長就任に伴い、21年11月に派閥を離脱。安倍晋三元首相が引き継いだのが現在の安倍派だ。

 政治資金規正法違反の不記載罪など、時効にならない18年以降の派閥会長は細田氏と安倍氏の2人。真相解明のキーマンとなり得るが、ともに死去し「死人に口なし」(中堅)の状態。ある閣僚経験者は「組織性や悪質性が認定されれば、安倍派は解体するしかない」と気をもむ。

 そしてもう1人。15年に水月会(石破派)を立ち上げた石破氏は、20年9月の総裁選で惨敗した責任を取って会長を辞任し、顧問に就任。その後退会者が相次ぎ、21年12月に派閥を解消、他派閥との掛け持ちを容認する「グループ」に変更した。

 ところが無派閥になったことで、今回の事件とは一線を画す立場に。国民人気が高く、各種世論調査で「次期総裁候補」のトップに立つだけに、岸田内閣の支持率低迷を受け、党内からは「最後は『石破カード』が残っている」との声も聞こえる。

 石破氏は、リクルート事件を受けて当時の自民党の若手議員が「お金のかからない政治」を目指して結成し、政策提言した「ユートピア政治研究会」の一員だった。再び派閥解体や腐敗の払拭へ力を発揮してほしい。

 一方、島根の政界では竹下氏に続き、23年6月に青木幹雄元官房長官が死去。次期衆院選への出馬に意欲を見せていた細田氏も同年11月に亡くなり、保守王国は転換点を迎える。細田氏の死去に伴う島根1区補欠選挙は4月28日投開票の見通しだ。

 派閥を巡る「政治とカネ」で揺れる今だからこそ、新しい力で山陰から政治を変革したい。