昭和初期に算数の国定教科書「尋常小学算術」(通称・緑表紙)の編纂(へんさん)に携わったのが出雲市出身の塩野直道(1898~1969年)だ。日常の中の数学的思考を重視し、算数教育の礎を築いた塩野の功績や教育理念を追った。
塩野は1898年に出雲市東園町に生まれ、園山西園尋常小学校(現出雲市立長浜小学校)、杵築中学校(現大社高校)、東京帝国大学(現東京大)を卒業した。旧制松本高等学校(現信州大)教授に就き、1924年に文部省の図書監修官となり、教科書の監修を担当した。
当時は算数ではなく「算術」という教科名で、教科書は国が定めた。1905年から「尋常小学算術」、通称「黒表紙」が使われた。内容は問題集形式で計算と知識を問う問題が中心だった。...