安来市生まれの植田敬助(後のSKRYU)は、進学先の松山市でラッパーになった。即興ラップで競うMCバトルでの活躍で知名度を高める一方、大会で敗れ、一度はUターンして就職。銀行員とラッパーの二足のわらじを履いたこの間、「ラップで生きていきたい」というハングリー精神が運命を変える。

 松山市の繁華街・大街道で、全身迷彩のダボダボセットアップのいかついラッパーが即興でラップしていた。様子をうかがっていると、ラッパーが「来いよ、入れや」と声をかけてくれた。後にSKRYUの師匠となるDisry(ディスリー)だ。

 愛媛大での勉強そっちのけでラップの沼にはまった。先輩たちに習い、松山市にある「CLUB BIBROS」をはじめ、中四国地方のクラブを訪ねて「ラップさせてください」とお願いして回った。

 「例えば金曜日の夜に松山、土曜日は尾道、日曜日の日中に再び松山、みたいな感じで回りました。ここでかなりラップが磨かれました。面白かったので、下積みだとも思いませんでした。この頃から『ラップで生活したいな』と思うようになりました」

 ただ、毎回交通費やギャラが出るわけではない。...