鳥取市の深沢義彦市長は5日、国史跡・鳥取城跡(鳥取市東町2丁目)について、大手登城路復元後に想定した城のシンボル・二ノ丸三階櫓(やぐら)の復元を前倒しする可能性を示唆した。整備スケジュールがずれ込んでいることに加え、大手登城路復元後だと二ノ丸に重機を入れるのが難しくなるため。鳥取藩池田家成立から400年の節目を2032年に控え、三階櫓復元着手時期が注目されそうだ。
同日の定例会見で「計画全体の見直しが必要だ。大手登城路完成を待たずに三階櫓に着手する見直しも可能だと考える」と述べた。

市教育委員会文化財課によると、市は06年に城跡の復元整備基本計画を策定。城の玄関に当たる大手登城路から着手し、そのうち擬宝珠(ぎぼし)橋は18年、中ノ御門(なかのごもん)大手門は21年に復元を終えた。現在その隣の中ノ御門渡(わたり)櫓門の復元を進めており25年春に完成予定。その後さらに奧の太鼓御門を復元して大手登城路を整え、それ以降に二ノ丸三階櫓の復元を描いていた。
ところが、三ノ丸にある鳥取西高校の改築問題が浮上して議論が長引いた影響で、待ち時間が生じ、大手登城路の復元に本格着手できたのは14年。当初、17年ごろに三階櫓の復元着手と想定していたスケジュールは大幅にずれ込んでいる。また、太鼓御門を復元すると、鳥取西高の西側を通って二ノ丸に至る仮設道路がふさがれ、二ノ丸に重機を入れるには作業道の新設が必要になるという。
鳥取城は久松山(263メートル)に築かれた山城だったが戦国時代に羽柴(豊臣)秀吉に攻め落とされた後、江戸初期にかけて近世城郭として麓を中心に再整備され、二ノ丸三階櫓がシンボル的な建物になった。1632年に池田光仲が城主となり鳥取藩池田家が成立した。明治期に三階櫓などの建物は取り壊された。
(桝井映志)