政府が東京都に4度目の新型コロナウイルス緊急事態宣言を発令し、神奈川、千葉、埼玉3県に対するまん延防止等重点措置を延長することを決定した。これを受け、政府と大会組織委員会、東京都、国際オリンピック委員会(IOC)など5者が協議し、東京五輪は首都圏全ての会場を無観客とすることを決めた。
近代五輪が無観客で開催されるのは初めてのことだ。パンデミック(世界的大流行)の中、異例の大会となる。
首都圏での感染はさらに拡大を続けるとの予測もある。組織委は選手村を中心に、感染対策の手を緩めることなく万全を期すとともに、無観客であっても五輪の開催意義を市民が実感できるよう「舞台」を整えなければならない。
既に多くの選手団が事前合宿のため入国し、各自治体で練習に励んでいる。
自国の検査で陰性証明を受けていたにもかかわらず、感染力の強いデルタ株による感染が判明した選手が出たのは、組織委にとって驚きだった。入念な検査が、入国時も大会中も欠かせないことを思い知ることになった。
海外に目を向ければ、大規模広域大会の欧州サッカー選手権で英国やフィンランドのファンから多くの感染者が出た。競技場や街の広場、あるいはパブでマスクをせずに肩を組み、歓声を上げるなどしたのが原因とされる。
注目度の高いスポーツ大会、とりわけ国の代表選手が出場する大会では、喜びを爆発させるファンが多数出る傾向がある。世界保健機関(WHO)はこれを教訓にして、IOCと組織委に助言を続けていくとした。
だが、国内では、政府の新型コロナ感染症対策分科会の尾身茂会長ら専門家有志が「無観客が望ましい」との提言を公表していた。政府はすぐには耳を傾けず、会場定員の50%以内で、最大1万人とする観客基準で突き進もうとした。独善的な姿勢を真摯(しんし)に反省すべきである。
6月下旬の共同通信の電話世論調査では、五輪とパラリンピックの開催による感染再拡大の可能性について「不安を感じている」と回答した人が86・7%に達していた。今回の無観客決断はいかにも遅かった。
首都圏の会場が無観客と決まったことで、ボランティアと警備担当要員の規模は大規模な見直しが必要になった。主に観客が熱中症になった場合の対応に当たる予定だった医療従事者も規模が見直され、大幅な人員縮小が見込まれる。
医療現場の負担が軽減され、最優先で取り組まなければならないコロナ感染対応で、人的な余裕が生まれるメリットも期待できそうだ。
しかし、安倍晋三前首相が大会の1年延期を決定したときに語った「完全な形での開催」は実現しなかった。菅義偉首相が何度となく強調してきた「ウイルスに打ち勝った証し」としての五輪の実現も難しくなった。
バッハIOC会長が言う「誰もが犠牲を強いられる大会」になるのは明らかだ。観客と喜びを共にしたいと望んでいた選手たちや、会場で観戦できるはずだった市民はさぞかし残念だろう。
それでも開催に懐疑的な人、開催を持ちわびている人が共に意義深く感じる大会にしなくてはならない。菅首相らにはその責務がある。