スターシップとハートといえば、1980年代後半の華々しい活躍が記憶に残る。いずれも当時既に活動歴の長い実力派ロックバンドだったが、85年に外部のソングライターの曲を取り入れて大胆に変身。ポップなヒット曲を連発した。
 
 スターシップは65年結成のジェファソン・エアプレインがルーツ。その後ジェファソン・スターシップに改名し、85年にスターシップの名になった。よく知られるのはエアプレイン時代の67年に女性ボーカルのグレース・スリックが歌ったヒット曲「サムバディ・トゥ・ラヴ」(最高位5位)と「ホワイト・ラビット」(8位)=いずれもセカンドアルバム「シュールリアリスティック・ピロウ」(3位)収録=で、サイケデリックなロックサウンドが持ち味だった。
ハートはアンとナンシーのウィルソン姉妹を中心に76年にデビュー。デビューアルバム「ドリームボート・アニー」(7位)はシングル「マジック・マン」(9位)と「クレイジー・オン・ユー」(35位)のヒットを生んだ。ボーカルのアンがシャウトする激しさとアコースティックな静けさを併せ持つ独特のロックだった。
二つのバンドとも70年代までのところで多くのヒット曲を生んでおり、シングル、アルバムいずれも米ビルボード・ヒットチャート・トップ10を記録した作品が上記以外にもある。ただ、ナンバーワンには届かず、特に80年代前半は低迷気味だった。
 
 復活を懸け、自作曲中心のスタイルを転換し、メンバー以外が作った曲を多く収録したアルバムをそれぞれ発表したのが85年。ハートは通算9作目にしてグループ名を冠したアルバム「ハート」が1位に輝き、シングルも3曲目のバラード「ジーズ・ドリームス」が1位に。ファーストシングル「ホワット・アバウト・ラヴ」は10位、セカンドシングル「ネヴァー」は4位、4曲目のシングル「ナッシン・アット・オール」は10位を記録した。最終的にアルバムは86年の年間チャートで2位を記録する大ヒット作となった。スターシップはスターシップ名義の初アルバム「フープラ」からのファーストシングル「シスコはロック・シティ」、続くバラード「セーラ」が相次ぎ1位になり、アルバムも7位まで上がった。
 
 2バンドの上記シングル曲はいずれもメンバー以外が作詞作曲している。しかもハートの「ジーズ・ドリームス」とスターシップの「シスコはロック・シティ」の作者は同じ、バーニー・トーピン(エルトン・ジョンとのコンビで知られる作詞家)とマーティン・ペイジだった(「シスコはロック・シティ」は他に2人のクレジットがある)。
ビジュアル系バンドに変身したかのようなメンバーのジャケット写真に驚かされたハートのサウンドは少しメタルっぽくなったが、メロディーはポップ。スターシップはかつてのサイケな雰囲気などみじんもなく、グレース・スリックとミッキー・トーマスの男女ツイン・ボーカルによる健康的なダンスミュージックのようだった。メンバーには葛藤があったかもしれないこの変化を、時代に迎合する”変節”だと感じて離れたファンはいただろうが、個人的には「売れ線になったなあ」と両バンドの変わりように驚きつつも、次々とシングルカットされる新曲に耳を奪われた。振り返れば、いかにも80年代らしい、軽くて親しみやすい曲の詰まった復活アルバムだった。87年にはスターシップが映画「マネキン」の挿入歌として名曲「愛は止まらない」(作者はダイアン・ウォーレンとアルバート・ハモンド)を、ハートが「アローン」のナンバーワンヒットシングルをそれぞれ放ち、活躍は続いた。
 
 「めでたしめでたし」の復活劇ではあるけれど、その陰に隠れて、あまり話題になることがない80年代前半のアルバムが時にいとおしくなる。ハートの「プライベート・オーディション」(82年、25位)と「パッション・ワークス」(83年、39位)であり、ジェファソン・エアプレインの「奇蹟の風」(82年、26位)である。当時、自分は中学~高校生で、二つのバンドとの最初の出合いはこれらの作品だったから。それぞれのアルバムから「ディス・マン・イズ・マイン」(33位)、「ハウ・キャン・アイ・リフューズ」(44位)、「ビー・マイ・レディ」(28位)のシングルもリリースされたが、トップ40前後のヒットに終わった。確かに、80年代後半の作品に比べれば地味だが、どれもアルバムとして統一感があって聴き応えがある。繰り返し聴くうちに良さが分かってくるアルバムもあるのだと、音楽を聴き始めた頃に、教えてくれた作品たちだった。(洋)






 
  






