浜田ロードレース大会に出場した小学生の三浦龍司選手=2014年、浜田市陸上競技協会提供
浜田ロードレース大会に出場した小学生の三浦龍司選手=2014年、浜田市陸上競技協会提供

 東京五輪陸上男子3000メートル障害で出場する浜田市出身の三浦龍司選手(19)=順天堂大。五輪出場のかかった6月の日本選手権で8分15秒99の日本新記録を樹立し、五輪本番では決勝進出が期待される。競技の終盤でも表情を変えず一気にスパートを掛ける姿や、インタビューに淡々と答える様子を見ると、陸上一筋の真面目な青年という印象を抱く。しかし、三浦選手が中学生まで過ごした浜田市の関係者に話を聞くと、意外な横顔が見えてきた。三浦選手の母親からは、晴れ舞台を直前に控えた息子への思いをつづった手記が寄せられた。(Sデジ編集部・吉野仁士)

 

 

 「基本的には素直で良い子。ただ、駅伝慰労会の催しで仲間たちとアイドルグループのダンスを踊る陽気な一面もある」。三浦選手の中学生時代、浜田―益田間駅伝競走大会(愛称・しおかぜ駅伝)で監督を3年間務めた、浜田市陸上競技協会の斎藤博之事務局長(60)が懐かしむように話した。

 

浜田―益田間駅伝競走大会(愛称・しおかぜ駅伝)に参加した中学生の三浦龍司選手。3年連続でホープ賞に輝いた=2014年

 

 

 ▼明るく社交的な性格

 三浦選手は練習に人一倍真剣に取り組む半面、社交的な性格で、駅伝の合同練習では他校の生徒とすぐに打ち解けた。持ち前の明るさで駅伝のチームメートと仲が良く、斎藤事務局長は三浦選手の母親づてに「あの頃のメンバーでまた走りたいといつも言っている」と聞いたという。「浜田での楽しい思い出が今の活躍につながっていると思うとうれしい」と笑う。

 

全国都道府県対抗男子駅伝で2区を走る中学生の三浦龍司選手(左)=2017年

 三浦選手が洛南高校(京都市)へ進学後、たまに練習を見に行くと、練習後に必ずあいさつと記念撮影をしに来てくれた。東京五輪を目前に控えた追い込みの練習中にもかかわらず、当時の駅伝メンバーのグループLINEで応援のメッセージを送ると「応援ありがとう。オリンピックも頑張ります」と丁寧な返事をくれる。

 「中学生時代、駅伝は最後の300~400メートルを頑張るかどうかで大きく結果が変わると言い続けてきた。今、武器としているラストスパートは、それをいまだに守ってくれていると思っている。五輪でもあのスパートで周囲を圧倒してほしい」。離れた地で大舞台に立つ教え子とのつながりを強く感じている。

洛南高校時代には高校総体の陸上男子3000メートル障害で2位という快挙を果たした=2019年

 

 ▼練習は誰よりも丁寧

 三浦選手を小学生の頃から見てきた浜田ジュニア陸上教室(JAS)スタッフの伊津洋士さん(54)は「おちゃらけることもある素直で明るい子」とひょうきんな一面を語る。小学生時代、合宿先での練習前に友達と楽しそうに走り回っていたかと思えば、練習ではもも上げなどの反復練習を他の誰よりも丁寧にやった。「小さい頃からメリハリをつけて練習できる子だった」。時におちゃらけながらも教室を休むことは一度もない、数多い児童の中でも異彩を放つ存在だったようだ。

 同じく浜田JASスタッフの大達高弘さん(53)も「負けん気が強く、練習でも手を抜かない。いくら真面目でも小学生ならたまには手を抜くもの。その真剣さが今も変わっていない」と三浦選手が陸上に注ぐ思いの強さを証言する。

 三浦選手の明るさについても、他の関係者と同じ感想を抱く。いつどこで会っても笑顔で楽しそうにあいさつしてくれ、「龍司は本当にニコニコしているイメージしかない。機嫌が悪そうな所を見たことがない」という。教室を休まず練習に励んだのは、大好きな仲間たちとひたすら練習に打ち込めるのが楽しかったのだろう。浜田市時代の環境が、三浦選手の陸上人生の根幹を形成していることが、多くの関係者の話を聞いて分かった。

全国小学生クロスカントリーリレーに出場した際の三浦龍司選手(左)=2013年、浜田市陸上競技協会提供

 

 ▼夢かなえてくれた

 三浦選手を小学校低学年の頃から最も長く指導してきた浜田JASの上ヶ迫定夫室長(67)は「我が子のような存在であると同時に、師匠のような存在でもある」と言う。

 三浦選手の陸上選手としての素質をいち早く見抜いていた上ヶ迫室長。指導しながら、期待が三浦選手の負担になっていないか案じていたが、むしろ教室以外でも自主練習を重ね、いつも期待以上の結果で応えてくれる。「見ているこちらが力をもらえるような選手」と評する。

順天堂大の仲間と一緒に走り込む三浦龍司選手(左端)=2020年

 先日、上ヶ迫室長が自宅を整理していると、小学校の頃の卒業文集が出てきた。将来の夢の欄には「オリンピック選手」の文字。「(三浦選手が)代わりに夢をかなえてくれた。これほどの選手と出会えて幸せだ。競技当日はしっかり応援していきたい」。三浦選手の活躍は周囲の人々にとっての希望になっている。

 最も近くで成長を見てきた三浦選手の母親には直接取材ができなかったが、代わりに息子の東京五輪出場についての思いを込めた手紙が寄せられた。便箋2枚にわたる手紙の中で、幼少期の三浦選手について「子どもの頃から体を動かすことが好きで、じっとしていない子どもでした。特別に秀でた能力があるわけでもなくごく普通の子どもでした」と思い返し、陸上に目覚めるきっかけとなった浜田JASの教え、母校など浜田の関係者からの応援に深く感謝した。

東京五輪出場については「息子が学生時代にオリンピックという夢の大舞台に立たせて頂ける事は、今だに実感が湧かず戸惑ってます」「母校の児童達、浜田陸上教室の後輩達に浜田出身の先輩として夢と希望を与えるような走りを見せてあげてください」「これから何年陸上するかわかりませんが、病気、怪我(けが)に気をつけて、陸上を楽しんで欲しいと思います」と思いをつづった。息子の晴れの舞台を喜ぶと同時に体を気遣い、温かな気持ちが伝わってくる。

山陰中央新報社に寄せられた三浦選手の母親の手紙。大舞台に立つ息子に対する思いの丈がつづられている。

 

 取材した関係者から共通して出てきた言葉は「良い子」で、当初抱いていた「真面目な青年」という印象に加え、社交的で礼儀正しく、時にひょうきんな面をのぞかせる三浦選手。日本新記録を打ち出すトップアスリートで、遠い世界の人間のように思っていたが、途端に親近感がわいてきた。山陰の西部の海と山を望む街でひたむきに仲間と走っていた少年が間もなく五輪の大舞台に登場する。

2020年に帰省した際には鉄棒にぶら下がり屈託の無い笑顔を見せた(浜田市陸上競技協会提供)

 

 最後に、浜田JASの皆さんから三浦選手への応援メッセージを寄せてもらった。

 

 

 

 三浦龍司(みうら・りゅうじ)
 浜田東中を卒業後、京都市の洛南高校に進学。現在は順天堂大2年。中学生だった浜田市時代には浜田―益田間駅伝競走大会(愛称・しおかぜ駅伝)で3年連続ホープ賞を受賞。中学2、3年時に全国都道府県対抗男子駅伝に島根県代表として出場した。

 今年1月、三浦選手のインタビューと練習風景を撮影した動画はこちら