ノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の本間恵美子代表理事(75)が、荒神谷博物館(出雲市斐川町神庭)で講演し、授賞式の様子や被団協の活動を伝え、被爆体験を継承する必要性を訴えた。講演要旨を紹介する。
<何も語らなかった母>
私の母は「被爆者手帳」を持っていた。被爆者には広島で8月6日、長崎で9日にその場で放射能の影響を受けたり、やけどをされたりした人▽投下後、2週間以内に救護や知人を探すため、広島と長崎に入った人▽母の体内で被爆した人-の三つのケースがある。
母は広島への入市被爆で、やけどの痕などはなかった。母が被爆者手帳を持っていたことは知っていたが、母の口から当時の様子を聞いたことがなかった。一度、こちらから「どうだったの」...